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東京地方裁判所 平成3年(刑わ)1219号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中、別紙訴訟費用負担一覧表に記載した分は、被告人の負担とする。

理由

(認定した事実)

第一  被告人の身上、経歴及び殺人の犯行に至る経緯など

一  被告人は、昭和一四年一一月六日、父太郎、母花子の二男として宮城県仙台市で出生し、地元の高校を卒業後、昭和三六年ころ上京し、その後職を得て、主に経理畑を歩いた後、昭和四八年九月ころ、東京都千代田区神田駿河台所在の業務用空調機の製造販売を目的とする日本ピーマック株式会社(以下「ピーマック」という。)に入社して同社の経理課長、経理部副部長等を歴任し、在職中に総額一億八〇〇〇万円を超える金員を横領してこれを元手に次々とマンションを購入するなどしたが、横領の事実の発覚を恐れて、昭和五五年一二月一五日同社を依願退職し、それ以降、昭和六一年一二月一七日に自転車部品の製造販売を目的とする栄輪業株式会社(以下「栄輪業」という。)に入社するまでの六年間、定職に就いたことはなく、定まった収入を得たことはなかった。

二  被告人は、上京後の昭和四〇年二月一九日、乙川春子(以下「春子」という。)と婚姻し、ピーマックを退職した当時は東京都台東区根岸所在のユテライズ根岸八〇三号に居住していたが、昭和五六年七月二〇日春子が死亡した後、同年一二月ころから同都豊島区西池袋二丁目三六番一号所在のソフトタウン池袋一一〇三号に引っ越して春子と婚姻中から愛人関係にあった丙山夏子(以下「夏子」という。)と同棲をはじめ、その後昭和五七年一〇月二八日、夏子との婚姻届を出して正式に夫婦となり、昭和六〇年九月三〇日夏子が死亡し、その後大阪に転居する昭和六一年一月中旬ころまで、右ソフトタウン池袋一一〇三号に居住していた。

三  他方、被告人は、春子が死亡した後、本来の居住とは別に、昭和五六年一〇月一日から昭和五八年九月三〇日まで、東京都荒川区東日暮里三丁目二六番五号所在のコーポ塚田三〇三号を、同年九月一六日から昭和六〇年一一月三〇日までは同都荒川区東日暮里五丁目五番三号所在の晴光荘二階七号をそれぞれ賃借する一方、この間の昭和五六年一一月ころから翌五七年九月ころにかけて、福島県西白河郡西郷村大字鶴生字由比ケ原〈番地略〉所在の山野草販売店「カルミヤ」(経営者A)から、四、五回にわたってトリカブト毒(以下「アコニチン系アルカロイドであるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、ジェサコニチン」を総称する。)を含むキンポウゲ科植物のトリカブトの鉢植えを合計六二鉢購入し、また、昭和五九年三月ころから翌六〇年秋ころにかけて、神奈川県横須賀市走水〈番地略〉で漁業を営むHから、六、七回にわたって、内臓に猛毒(テトロドトキシン、以下「フグ毒」という。)を持つクサフグを一匹一〇〇〇円の単価で合計約一二〇〇匹購入した。また、被告人は、昭和五九年七月以前から翌六〇年一〇、一一月ころまでの間、東京都荒川区西日暮里所在の十全堂薬局(経営者C)及び薬ヒグチ日暮里店から、多量のメタノール、エタノール及び薬剤入りカプセルを買い求め、また、これに先立つ昭和五七年六月七日と昭和五八年三月二三日には、同都千代田区鍛冶町所在の高野理化硝子株式会社から、濃縮用器械であるロータリーエバポレーターを一セットずつ二度にわたって購入し、また、昭和五七、八年ころ、同都練馬区春日町所在の株式会社日本医科学動物資材研究所から、一回当たり五〇匹の実験用マウスを二、三回にわたって購入した。そして、被告人は、メタノール、エタノール及びロータリーエバポレーターを使用して、そのころ、前記晴光荘二階七号などにおいて、購入したトリカブト及びクサフグからトリカブト毒及びフグ毒を抽出・濃縮し、これをマウスに投与するほか、夏子にも投与してその毒性実験を行い、夏子と同棲を始めた後の昭和五七年六月一六日から夏子の死亡した昭和六〇年九月三〇日までの間、心臓病との診断の下に平塚胃腸病院、虎の門病院、国立高崎病院及び金海循環器科病院と相次いで入・退院を繰り返していた夏子の症状をつぶさに記録し、毒物の人体に及ぼす影響について密かに研究を重ねていた。

四  ところで被告人は、ピーマックを退職した昭和五五年一二月当時、ソフトタウン池袋一一〇三号のほか、当時の住居であったユテライズ根岸八〇三号と東京都新宿区西新宿所在のストークマンション新宿七一二号の合計三戸のマンションを所有していたが、ピーマック退職後は無職・無収入であったにもかかわらず、退職前から出入していた銀座のクラブ等でホステス相手に豪遊して、湯水のように金銭を費消していたため、これらの遊興費や生活費を捻出するために、昭和五六年一一月にユテライズ根岸八〇三号を売却したのを皮切りに、昭和五八年四月から同年六月にかけてサラ金四社から順次借入れを始めるようになり、昭和五九年一月と同年七月にソフトタウン池袋一一〇三号を担保にクレジット会社二社から合計二〇〇〇万円を借り入れ、さらに昭和六〇年二月にはストークマンション新宿七一二号を売却するなどして食いつなぐ生活を送っていた。そのため、夏子が死亡して間もない同年一〇月一五日には、被告人の資産としては、時価約三〇〇〇万円相当のソフトタウン池袋一一〇三号のほか、宝石八点と定期預金を残すのみとなり、当時の被告人の資産を一七〇〇万円以上も超過する負債を抱えるに至っており、同月四日に執り行われた夏子の葬儀費用もサラ金からの借入金で賄うという逼迫した状態に立ち至っていた。

五  被告人は、夏子と同棲していた当時の昭和五七年四月二三日、朝日生命保険相互会社(以下「朝日生命」という。)との間で、夏子を被保険者、被告人を保険金受取人とする特別終身年金保険契約(死亡保険金一〇〇〇万円)を締結しており、夏子が死亡した後の昭和六〇年一〇月一六日、朝日生命から右死亡保険金一〇二三万円余りを取得したので、これで当時抱えていた負債の一部を返済すれば、経済的窮状をかなり解消できたはずであるのに、そうしなかったばかりか、その後も職に就こうとせず、かえって、夏子の死亡により多額の保険金を入手できたことに味をしめ、遊興費や生活費を得るとともに経済的苦境を打開するために、適当な女性を見つけて婚姻し、相手の女性に自分を受取人とする生命保険を掛けて殺害し、保険会社から保険金を騙し取ろうという考えを抱くに至った。そこで、被告人は、この考えを実行に移す計画として、従前のとおり、自分の職業を計理士、経営コンサルタントなどと偽り、経営経理事務所をもち、高収入があるかのように装うとともに、取引先の会社と新たに食品会社を設立する、あるいは設立準備中であるという架空の話や、大阪にも経営経理事務所を開設して、取引先の依頼で大阪にも仕事があるという虚構の話を創りあげ、計画を実行に移す準備にとりかかった。

六  こうした計画の下に、被告人は、同年一一月一四日、大阪府寝屋川市香里南之町一番一二号所在のグランドハイツ三号館一〇一号を賃借し、当時の居住のソフトタウン池袋一一〇三号と右グランドハイツ三号館一〇一号を甲野経営経理事務所の東京及び大阪事務所として記載した名刺を新たに作った。そして、被告人は、それから四日後の同年一一月一八日、東京都豊島区池袋にあるクラブ「カーナパリ」(同月二五日「アルカサバ」に店名変更)を訪れ、同店で初めて知り合ったホステスの丁田秋子(以下「秋子」という。)を保険金殺人の対象とすることに狙いを定めた。

そこで、被告人は、前記計画に従い、秋子に対して、自分の職業を計理士、経営コンサルタントであると言って偽るとともに、さも資産があるかのように装って翌一九日、二一日、二二日と連日のように同店に通い詰め、その都度同女を指名して同女の歓心を買い、知り合ってから六日後の同年一一月二四日には同女に結婚の申し込みをした上、同女の友人のD(以下「D」という。)、E(以下「E」という。)及びF(以下「F」という。)らを同女とともに次々と接待し、その後も、引き続き連日のように同店に通っては同女を指名し、被告人との結婚に気持ちの傾いた同女に、スーツを贈ったり、あるいは入籍までの保障と称して、当時被告人が所有していた唯一のマンションであるソフトタウン池袋一一〇三号を同女に与える旨の遺言書を書いて与えたりした。こうして、同女の歓心を買うことに腐心する一方、被告人は、同女に対して、現在、食品会社を設立する計画があり、その仕事のためにどうしても大阪に行かなければならないなどと言って同女に大阪に引っ越すことを承諾させ、同女にミンクのコートやダイヤモンドの指輪を贈るなどし、その上で、昭和六一年一月一日、結婚の承諾を求めるため、同女と一緒に青森県南津軽郡碇ケ関村の同女の実家を訪れて、同女の両親と会い、同女の親類縁者の集まった席で仮祝言を挙げ、同年一月二〇日ころ、一年間の予定と偽って同女を伴って大阪に転居し、大阪市城東区関目五丁目五番一三号所在の寺崎ビル七〇二号に住居を定めて、大阪での同女との生活を始めた。そして、これとは別に、被告人は、先に借り受けたグランドハイツ三号館一〇一号を甲野経営経理事務所と称して引き続き使用し、同所で密閉したガラス瓶などに入れたトリカブト毒及びフグ毒を保管していた。

七  ところで、被告人は、先に受領した夏子の死亡保険金をわずか三か月足らずですべて使い果たしてしまい、遅くとも大阪に転居した同年一月下旬ころには、以前と同様の、サラ金からの借入金などで急場を凌ぐ逼迫した状態に立ち至っており、クレジット会社に対する翌月分の返済の目処もつかない状況になっていたため、先に考えた保険金騙取目的の殺人計画を早急に具体化させる必要に迫られるに至った。そこで、被告人は、秋子の殺害計画を早期に実行に移そうと考え、殺害する場所として五月ころの沖縄の離島を選び、同年二月三日ころには、秋子の友人のG(以下「G」という。)を沖縄旅行に執拗に誘う一方、同年二月一三日には、秋子との婚姻届を済ませ、その上で、秋子に対し、老後の保障のためと称して保険の話を始め、食品会社の設立とその経理に参加することに伴って加入すると称して経営者保険の話をするなどして保険に加入する必要を説き始めた。また、その一方で、被告人は、同年三月ころから、秋子のためにカプセルを調合して、これを栄養剤などと称して同女に与えて服用させるとともに、沖縄に仕事があるが、旅費は経費で落とせるからなどと言って、同女の友人を誘って自分と一緒に沖縄旅行をすることを勧めた。

こうして、被告人は、同年三月二七日ころまでに秋子に保険に加入することを決意させると、その日のうちに住友銀行京橋支店に保険料支払用の口座を開設し、その足で、一人で大阪市内にある安田生命保険相互会社(以下「安田生命」という。)、三井生命保険相互会社(以下「三井生命」という。)、住友生命保険相互会社(以下「住友生命」という。)、明治生命保険相互会社(以下「明治生命」という。)及び第一生命保険相互会社(以下「第一生命」という。)の五社を相次いで訪れて生命保険契約の加入の申し出をし、翌三月二八日には三井生命と住友生命に、同年三月下旬ころには明治生命に、同年四月五日には安田生命に、秋子と被告人を相互に被保険者及び保険金受取人とする生命保険契約を申し込み、そのころから同年四月一四日ころまでの間に、各保険会社の診査を受けて保険料の支払いを行い、秋子について、安田生命ほか三社との間で、死亡保険金総額一億八五〇〇万円、月額保険料総額一八万五五五〇円の生命保険契約を締結し、いずれもその後の同年五月一日には右契約を成立させた。被告人は、こうして生命保険の申込みに奔走するのと並行して、沖縄・石垣島旅行の話をまとめて、同年四月一六日、秋子と同女の友人三人の航空券や宿泊の予約手続を済ませるなどして旅行の準備を進め、また、その一方で、秋子が元の職場の同僚と北海道旅行のため一週間ほど大阪を不在にする期間を利用して、同年四月二六日大阪府摂津市内所在のアワズ実験動物からマウス五〇匹を購入したうえ、グランドハイツ三号館一〇一号において、かねてより所持し、保管していたトリカブト毒とフグ毒をマウスに投与して最終的な毒性実験を行い、先に描いた秋子の殺害計画の準備を遂げた。そして、被告人は、同年五月一九日、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを用意して、秋子と共に大阪から空路沖縄に渡り、那覇市内の那覇東急ホテル一〇〇三号室に投宿した。

第二  殺人の犯罪事実

被告人は、昭和六一年五月二〇日朝起床した後、沖縄県那覇市天久一〇〇二番地の那覇東急ホテルのレストランで秋子と朝食を摂り、秋子が当日那覇空港で合流するFらと石垣島に向かうのを見送るため、同日午前一〇時三九分ころ、同ホテルをチェックアウトして秋子と共にタクシーで那覇空港に向かい、同日午前一一時ころ、同市鏡水三〇六番地の一の那覇空港国内線第一ターミナルビルに到着し、同ビル一階全日空到着ロビーで空路羽田から那覇に向かったFらの到着を待っていたところ、Fらを乗せた全日空機の到着が予定より二〇分遅れ、Fらが直接南西航空ビルに向かうことになったため、同日午前一一時四〇分過ぎころ、右全日空到着ロビーで秋子と別れ、別々に南西航空ビルに向かい、同所で秋子らを見送ったが、秋子と行動を共にしていた同日朝の起床時から同日午前一一時四〇分過ぎころまでの間に、右那覇東急ホテルから右那覇空港国内線第一ターミナルビル一階全日空到着ロビーに至る那覇市内において秋子を殺害するために予め準備し、携帯していたトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを、栄養剤などと称して秋子(当時三三歳)に交付し、そのころから秋子の搭乗した南西航空機が同県石垣市真栄里東原六二五番地の石垣空港に到着した同日午後零時五三分ころまでの間に、同県那覇市内又は右那覇空港から右石垣空港に向かう南西空港機内において、カプセルに右毒物が詰められていることを知らない秋子をして右カプセルを服用させ、よって、同日午後三時〇四分ころ、同市大川七三二番地の沖縄県立八重山病院において、秋子をアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全により死亡させて殺害したものである。

第三  詐欺未遂の犯罪事実

被告人は、秋子を殺害した後、先に安田生命外三社との間で締結した同女を被保険者、自己を保険金受取人とする死亡保険金合計一億八五〇〇万円を騙取しようと企て、別紙一覧表一記載のとおり、昭和六一年六月一〇日ころから同年八月五日ころまでの間、前後四回にわたり、大阪市北区梅田一丁目三番一号大阪駅前第一ビル内の安田生命梅田支社外三か所において、同支社係員永原生吉外三名に対し、前記のとおり秋子を殺害したにもかかわらず、同女が急性心筋梗塞により病死したように装って前記死亡保険金合計一億八五〇〇万円の支払いを求め、右永原らがこれを拒絶したため、同年一二月一二日、東京地方裁判所に対し、安田生命外三社を被告として、右保険金等の支払いを求める民事訴訟を提起し、平成二年二月一九日、同裁判所が安田生命外三社に対して右保険金合計一億八五〇〇万円等の支払いを命ずる判決をしたが、安田生命外三社がこれを不服として東京高等裁判所に控訴し、同裁判所において審理中、秋子の死因がアコニチン系アルカロイド中毒であることが発覚したため、右保険金等の騙取を断念して同年一一月一三日右訴えを取下げ、その目的を遂げなかったものである。

第四  業務上横領及び横領の犯罪事実

被告人は、前記保険金請求訴訟を提起した後の昭和六一年一二月一七日、東京都足立区青井二丁目一六番五号の自転車部品の製造販売を目的とする栄輪業に入社し、昭和六三年三月一日から経理部長として栄輪業所有の株券等の資産管理など経理事務全般を統括管理する業務に従事するとともに、栄輪業代表取締役会長のXから依頼され同人所有の株券を預り保管していたものであるが

一  昭和六三年四月二一日ころ、同都千代田区神田神保町二丁目五番八号の株式会社中質店(以下「中質店」という。)事務所において、自己が中質店から一七〇〇万円の借入れをするにあたり、前記業務上預かり保管中の栄輪業所有の宮田工業株式会社(以下「宮田工業」という。)発行の株券二〇枚(株式合計二万株、時価合計二八〇〇万円相当)及び前記預かり保管中のX所有の栄輪業発行の株券二〇枚(株式合計二万株、時価合計一〇八〇万円相当)を、ほしいままに、中質店の代表取締役Yに対し、右借入れの担保として差し入れて横領した

二  平成元年一二月四日ころ、同都渋谷区恵比寿一丁目八番五号東洋ビル五階の愛和商工株式会社(以下「愛和商工」という。)事務所において、自己が愛和商工から八〇〇〇万円の借入れをするにあたり、前記業務上預かり保管中の栄輪業所有の株式会社協和銀行(以下「協和銀行」という。)外二社発行の株券三五枚(株式合計三万五〇〇〇株、時価合計八六二五万円相当)及び前記預かり保管中のX所有の栄輪業発行の株券一六枚(株式合計八万株、時価合計五三四四万円相当)を、ほしいままに、愛和商工の従業員渡辺紀幸に対し、右借入れの担保として差し入れて横領した

三  別紙一覧表二記載のとおり、昭和六三年六月四日ころから平成二年七月一九日ころまでの間、前後九回にわたり、中質店事務所外二か所において、自己が中質店外二社から合計七〇〇〇万円の借入れ等をするにあたり、前記業務上預かり保管中の栄輪業所有の丸石自転車株式会社外六社発行の株券合計一一五枚(株式合計一一万〇六〇〇株、時価合計一億六五二二万八〇〇〇円相当)を、ほしいままに、中質店の代表取締役Y外二名に対し、右借入れ等の担保として差し入れて横領した

四  別紙一覧表三記載のとおり、昭和六三年一一月二九日ころから平成二年一月八日ころまでの間、前後四回にわたり、前記愛和商工事務所一か所において、自己が愛和商工外一社から合計一億五六〇〇万円の借入れをするにあたり、前記預かり保管中のX所有の栄輪業発行の株券一九〇枚(株式合計六七万株、時価合計四億二七九八万円相当)を、ほしいままに、愛和商工の従業員渡辺紀幸外一名に対し、右借入れの担保として差し入れて横領したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

〔目次〕

第一  本件争点の概要

第二  秋子の死亡とその死因等

一  秋子の死亡に至る経緯

二  秋子の死因判明に至る経緯

三  秋子の死因

四  トリカブト毒の服用の方法

五  自殺ないし過失死でないこと

第三  犯人と被告人とを結びつける事実

一  総論

二  被告人の生活状況

1 被告人の職歴及び住居等

2 被告人の資産状況

(一) 夏子死亡当時の資産状況

(二) 大阪転居当時の資産状況

(三) 大阪転居後犯行に至るまでの間及びその後の資産状況

3 被告人の職業・仕事

4 まとめ

三  トリカブト及びフグとの関わり

1 トリカブト及びフグの購入

2 メタノール、エタノール、カプセル、エバポレーター及びマウスの購入

3 トリカブト毒及びフグ毒の抽出・濃縮・保管

4 トリカブト毒及びフグ毒の毒性実験並びにこれらについての被告人の知識の程度

5 まとめ

四  大阪転居ないし転居後の生活状況に対する疑問点

1 結婚の不自然性

2 理由のない大阪転居

3 高額かつ不自然な保険加入

4 石垣島旅行計画と被告人の沖縄への同行

5 秋子に対するカプセル投与

6 大阪における毒性実験

五  秋子死亡後の被告人の言動

第四  総合的考察

第五  訴因不特定の主張について

第一  本件争点の概要

被告人は、公訴事実に対する認否において、殺人及び詐欺未遂の各事実を全面的に否認し、「殺人及び詐欺未遂は全く身に覚えがない。秋子にアコニチン系アルカロイド等の毒物を詰めたカプセルを交付した事実はなく、秋子が那覇市内又は石垣空港までを飛行中の航空機内で私から受け取ったカプセルを服用した事実もない」と述べるとともに、その後の公判供述及び陳述書においても後記のとおりるる弁護し、弁護人も、被告人の右弁解を前提に、これらの事実につき直接証拠は存在せず、検察官の指摘する証拠だけでは未だその証明が十分でないから、被告人は無罪であると主張する。

そこで、以下、当裁判所が前記のとおり認定した理由を説明するが、本件においては、秋子殺害の事実が立証されれば詐欺未遂罪の成立も肯定される関係にあるので、殺人罪の成否を中心に秋子の死亡とその死因、犯人と被告人との結び付きについて、順次検討を加えることとする(なお、以下、説明中のccはシーシー、%はパーセント、ng/mlはナノグラムパーミリリットル、GC/SIM分析はガスクロマトグラフィーセレクテッドイオンモニターリング分析、mvはミリボルト、mgはミリグラム、kgはキログラム、mlはミリリットル、gはグラム、MUはマウスユニット、m3は立法メートル、Aはアンペアを示す。)。

第二  秋子の死亡とその死因等

一  秋子の死亡に至る経緯

関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

秋子は、被告人と共に昭和六一年五月一九日午後、大阪空港発全日空一〇三便で那覇空港に到着し、那覇市内及び糸満市を観光した後、那覇市内にある那覇東急ホテルに投宿した。

秋子は、翌二〇日朝起床後、被告人と一緒に同ホテル内のレストランでバイキング形式の朝食を摂り、午前一〇時三九分ころ同ホテルをチェックアウトし、車付ウインドケース、ショルダーバッグのほかキルティングの布袋を持って、被告人と一緒にタクシーで那覇空港に向かい、午前一一時ころ同空港国内線第一ターミナルビルに到着し、当日東京を発って合流する予定のF、E及びDの到着を同ビル一階全日空到着ロビーで待った。Fらは、午前八時五〇分羽田空港発全日空八一便に搭乗し、午前一一時二〇分那覇空港に到着する予定であったが、飛行機の到着が予定より約二〇分遅延したため、同便に搭乗する石垣島への乗継ぎ客は、那覇空港で降機後、全日空到着ロビーには立寄らずに、乗継ぎバスで直接南西航空ビルに向かうこととなり、そのため、秋子は、午前一一時四〇分過ぎころ、同ロビーで被告人と別れて一人で南西航空ビルに向かい、午前一一時五〇分過ぎころ同ビル待合室でFらと合流した。他方、被告人も、那覇空港国内線第一ターミナルビルから南西航空ビルに向かい、午後零時前に同ビルに到着した。

秋子及びFらは、被告人の見送りを受けて南西航空六〇九便に搭乗し、秋子は「五C」の禁煙席に、Fらは「一六A」、「一六B」、「一六C」の喫煙席にそれぞれ座り、同便は午後零時〇五分に那覇空港を出発し、午後零時五三分に石垣空港に到着したが、この間、機内で秋子とFらが接触することはなかった。

秋子は、同空港到着後、手荷物の受取りをFとDに頼んでターンテーブルの近くのベンチに腰掛けてEと一緒に喫煙し、午後一時ころ、同空港前からFらとタクシーに乗車して宿泊予定のヴィラフサキリゾートホテルに向かった。ところが、最初のうちはFらと車内で賑やかに喋っていた秋子が、やがて途中から次第に黙り込むようになり、同ホテルに到着した午後一時一五分ころには、着ていたジャンプスーツが水をかぶったように見えるほど大量に発汗していた。秋子は、タクシーから下車し、同ホテルカウンターでチェックインの手続をした後、Fらと一緒に歩いて割り当てられた二二〇号室に向かったが、その途中、午後一時二〇分ころ、突然「胃液が戻る。気持ちが悪い」と言って車付ウインドケースなどをその場に放置したまま、右二二〇号室に駆け込むと、玄関脇のトイレに入り、トイレのドアを開けたまま、便器を抱えるようにしてしゃがみ込んで、「オエー」と声をあげ、「吐きたいけど、吐けない」などと言いながら胃液様の物を若干嘔吐した。秋子は、Fらに促されて同室内のベッドに横たわったが、その後も、「寒い。寒い。手が痺れる」「何か変。私の体どうなっちゃうの」などと口走りながら苦悶し続け、手を痙攣させたり、身体を左右に回転させながら必死になって吐こうとするなどし、また、足は氷のように冷え切るなど、病状は悪化の一途をたどるばかりであった。そして、同ホテルを通じて要請した石垣市消防署救急係南風原当吾外二名の救急隊員が救急車で同ホテルに到着した午後一時五六分ころにも、全身から大量に発汗し、頭髪はびしょ濡れで、衣服も濡れている状態で、嘔吐物は出ないもののしきりに吐き気を訴える状況にあった。

救急隊員は、秋子を担架に乗せて救急車に搬入し、Eを同乗させて、午後二時〇三分、同ホテルを出発して沖縄県立八重山病院に向かった。秋子は、車内でも足をばたつかせながら悶え苦しんでいたが、ホテルを出てから約七分後の午後二時一〇分ころ、突然「ううっ」と声を出して目をむき、両手を上に突き上げて反り返り、足を突っ張る動作をした直後にぐったりして意識を失い、救急隊員が確認したところ、自発呼吸は失われ、脈も触れず、心肺は停止していた。車内では直ちに救急隊員により心肺処置が行われ、秋子は、人工呼吸、心臓マッサージなどを受けながら心肺停止状態のまま午後二時二〇分ころ同病院に搬入され、同病院の救急治療室で直ちに謝花隆光ら五、六名の医師により人工呼吸、心臓マッサージその他救急蘇生術の施術を受けた。秋子は、心電図装着時から心室細動を示しており、その後の交感神経刺激剤の投与、除細動器による電気ショック(通常は五回位のところ、Fらの要請により一〇回位)を施されたにもかかわらず、通常は一時的にせよ正常な波形に戻るはずなのに一度も正常洞を示さず、心電図上でも心室頻拍と心室細動を繰り返すのみであり、心肺機能は一度も回復することなく推移したため、医師らは右蘇生術の継続を断念した。すると、同時に秋子の心電図はフラットになり、医師らは、秋子の呼吸停止、心停止、瞳孔散大を確認し、午後三時〇四分、秋子の死亡が確認された。

秋子は、ホテル内で具合が悪くなった後も意識は清明で、Fらの問いかけに「甲野は二時何分の飛行機で大阪に帰るから、まだ那覇空港にいる」と言って被告人の行動予定を述べたり、また、救急車に乗せられてからも、救急隊員の質問に対し、「変わった物は別に食べていない。那覇のホテルの朝食でバイキングのコーヒーとパンを少し食べただけ」「病気はありません」などとはっきりした口調で答えていた。

二  秋子の死因判明に至る経緯

関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

秋子死亡後、担当医師謝花隆光は、医師法二一条により看護婦を通じて八重山警察署に異常死体の通報をし、同署警察官佐和田勇は、昭和六一年五月二〇日午後四時四〇分ころから午後五時二五分ころまでの間、県立八重山病院及び同署解剖室において秋子の死体の検視を行い、午後五時三〇分ころ秋子の死体を同署解剖室の冷蔵庫に安置した上、午後六時ころ沖縄県警察本部刑事部刑事調査官喜久里伸に電話で捜査結果を報告し、同人から解剖の準備をするよう指示を受け、午後六時三〇分ころ既に同署に着いて秋子の死体を確認した被告人を説得して解剖承諾書を徴して右喜久里にその旨の連絡をし、引き続き、午後七時ころから午後九時ころまで、被告人から職業や保険加入の有無などにつき事情を聴取して参考人調書を作成した。他方、右喜久里は、琉球大学医学部法医学教室助教授大野曜吉(平成二年六月以降は日本大学医学部助教授、以下「大野助教授」という。)に秋子の死体の解剖を依頼した。

大野助教授は、翌二一日午前一〇時五一分から午後零時三六分までの間、八重山警察署解剖室において、右喜久里の補助の下に秋子の死体を解剖し、心臓左室後壁下部の筋肉に暗褐赤色の変色部があるが、他に肉眼による致死的所見がないことから、秋子の死因につき一応病的な急性心筋梗塞と判断して、死体検案書の死因欄にその旨の記載をした。しかし、大野助教授は、秋子の心臓急停止の原因に強い疑問を抱き、死因究明のため秋子の心臓血三〇ccのほか秋子の心臓、肝臓等の臓器の一部を大学に持ち帰り、右心臓血をマイナス二〇度に冷凍保存し、右臓器を一〇%ホルマリンに固定して保存した。その後、大野助教授は、右臓器の病理組織検査を実施するなどしたが、報道関係者らからの情報に接して、死因についてさらに慎重な検討を加える必要を感じ、秋子の死因等についての八重山警察署長からの六月三〇日付けの鑑定嘱託に対しては、とりあえず七月一八日付けで秋子の死因を急性心不全とする解剖当初の所見を記載した中間報告書(甲四六)を作成して送付した。その後も、大野助教授は、被告人の前妻夏子の金海循環器科病院で作成された診療録や心電図などをも入手して、これを検討するなどして秋子の死因究明の努力を続けていたが、やがて、夏子の心電図には房室ブロックや心室性期外収縮の異常が見られ、これが以前に宮城県古川市で発生したトリカブト中毒患者の心電図に似ていることなどに気付き、翌六二年二月二日、秋子の心臓血一〇ccを東北大学教授医学部付属病院薬剤部長薬学博士水柿道直(以下「水柿教授」という。)に送付して微量分析を依頼したところ、同年二月末ころ、水柿教授から、口頭で秋子の心臓血からトリカブト毒が検出された旨の回答を得るとともに、その後、水柿教授作成の四月三〇日付け試験報告書で同旨の回答を得た。そこで、大野助教授は、前記鑑定嘱託に対し、五月六日付けで秋子の死因をアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全とする鑑定要旨(追加報告書)(甲四七、以下「第一次鑑定」という。)を作成して送付した。

被告人は、秋子死亡後の昭和六一年一二月一二日、安田生命外三社を被告として保険金請求訴訟を東京地方裁判所に提起し、平成二年二月一九日に請求を認容する判決を得ていたが、その控訴審の同年一〇月一一日の口頭弁論期日において、大野助教授が保険会社側の証人として出廷し、秋子の死因がアコニチン系アルカロイド中毒である旨の証言をし、これを機にテレビ等が「トリカブト殺人疑惑」として大々的に報道しこれに接した視聴者(山野草販売店経営A、同B)からの連絡により、秋子死亡から約四年半後、トリカブト毒検出から約三年半後の同年一二月一七日になってはじめて、被告人が福島県西白河郡西郷村でトリカブトを購入していた事実が明らかとなった。そこで、捜査機関は、改めて、翌三年二月二二日付けで水柿教授に対し、秋子の心臓血からトリカブト毒が検出されるか否かについての鑑定嘱託を行い、水柿教授は、同年二月二七日から三月二日にかけて鑑定を実施し、七月三一日付けで秋子の心臓血からトリカブト毒が検出された旨の鑑定書(甲四九、以下「第二次鑑定」という。)を作成して送付した。

他方、被告人は、同年七月一日殺人及び詐欺未遂容疑で通常逮捕されたが、そのころテレビ放送を見ていた視聴者(I)からの通報により、秋子死亡から五年後の同年七月四日になって、はじめて、捜査機関も含め誰一人気付かなかった被告人が神奈川県横須賀市でフグを購入していた事実が明らかになり、これを受けて、捜査機関から七月一五日付けで東京大学農学部水産化学研究室講師野口玉雄(以下「野口講師」という。)に対して秋子の心臓血からフグ毒が検出されるか否か等についての鑑定嘱託がなされ、野口講師作成の八月三一日付け鑑定報告書(甲五二、以下「野口鑑定」という。)により、秋子の心臓血にフグ毒(ここでは、テトロドトキシンのほか、その分解物等を含む。)が含有されていた事実も明らかとなった。

なお、右各試験ないし鑑定の資料となった血液は、いずれも大野助教授が昭和六一年五月二一日の秋子の死体解剖時に採取した秋子の心臓血三〇ccの一部であるが、これと同一性を有する残余の血液につき当裁判所において親子鑑定を実施したところ、鑑定人医師押田茂實作成の平成六年一月一一日付け鑑定署(弁護人一一)により、右血液が秋子の父、姉及び弟の血液と対照して親族関係(親子関係、姉妹弟関係)上矛盾が見られないことが確認された。

三  秋子の死因

1 秋子の心臓血からトリカブト毒及びフグ毒が検出されたことは、前述したとおりである。すなわち、いずれも秋子の心臓血から、第一次鑑定では、アコニチンが補正値(定量値に血液からの回収率をもって補正した値、以下同じ。)で29.1ng/ml、メサコニチンが補正値で53.1ng/mlそれぞれ検出されたほか、ヒパコニチンが検出され、第二次鑑定でも、いずれも補正値で、アコニチンが29.1ng/ml、メサコニチンが51.0ng/ml、ヒパコニチンが45.6ng/mlそれぞれ検出され、野口鑑定では、テトロドトキシン及びその分解物等の関連物質が補正値で26.4ng/ml検出されたことが認められる。

右鑑定のうち水柿教授のそれは、超微量薬物についての定量分析の権威である同教授が、冷凍保存された秋子の心臓血を溶解後、エタノールとの混和と遠心分離、ジエチルエーテルとの混和と遠心分離、クロロホルムとの混和と遠心分離等の操作を繰り返すなどして分析用試料を作る一方で、アコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン等の標準原液を調整し、GC/SIM分析により鑑定する方法で実施したもので、科学的、合理的な分析方法である上、極めて高度な分解機能を有する高精度の分析器を用いて行われたものであって、鑑定の手法及び経過は十分信頼できるものであり、その結論においても第一次鑑定及び第二次鑑定を通じて一貫しており、鑑定結果の正確性、信用性に疑いを挾む余地は全くない。

2 そこで、秋子の死因につき検討する。

関係証拠によれば、トリカブト毒の中毒症状としては、初期においては、のぼせ、顔面紅潮、酩酊状態、心悸亢進が、中期においては、唾液分泌促進、発汗、悪心、嘔吐、下痢、顔面蒼白、舌の剛直による言語不明、四肢の倦怠・弛緩による起立不能等が、また、末期においては、不整脈、瞳孔散大、四肢の冷えなどの各症状が見られること、そして、心電図上の所見では、トリカブト毒の場合は、不整脈である房室ブロック、心室性期外収縮、心室頻拍、心室細動などの極めて多彩な心電図異常が見られるのに反し、フグ毒の場合には、基本的に心電図異常は見られないこと、心筋細胞は、一定の周期で収縮と弛緩を繰り返しているが、正常な状態における心筋細胞は、静止状態において、膜電位がマイナス九〇mvに位置して膜電圧(細胞の外がプラスで、その内がマイナスの状態をいい、これを「分極」と呼ぶ。)を形成し、これに洞結節から発生する電気的刺激(インパルス)が心房に伝わり、房室結節を通って心室に伝わると、膜電位が徐々に上昇し、ある閾値に達すると、細胞膜に存在するナトリウムチャンネルが開いてナトリウムイオンが細胞外から細胞内に急激に流入し、膜電位が急激にプラス側に変化して(これを「脱分極」と呼ぶ。)プラトー状態を呈して、カルシウムチャンネルが開き、カルシウムイオンが細胞外から細胞内に急激に流入して収縮が行われ、その後放電がなされて、プラトー状態の膜電位は次第に低下していき、ナトリウムイオンも能動的に細胞外に汲み出され、元のマイナスの膜電位に戻って行く(これを「再分極」と呼ぶ。)という過程を経ていること、トリカブト毒は、これまでのアコニチン系アルカロイドの研究では、ナトリウムイオンの流入を促進し、心筋細胞の自動能を高めることにより不整脈を引き起こし、また、ナトリウムチャンネルの研究によると、ナトリウムチャンネルの受容体部位2に結合し、電位の不活性化過程を抑制し、閾値を過分極側に移行させることにより、本来の閾値以外のところでも脱分極を生じさせ、本来の周期にそぐわない収縮を行って不整脈を引き起こし、刺激伝導系のあらゆる箇所で異常を来し、通常は、期外収縮が起こり、心室頻拍を経て、心室細動に至るという経過をたどること、心室細動とは、心臓の筋肉がばらばらに動いている状態を言い、死亡直前の状態であると認められているところ、前述したとおり、秋子は、死亡前の午後一時一五分ころから、大量に発汗し、悪心、嘔吐を訴え、手足の痺れ、足の冷えなどのトリカブト毒の中毒症状を呈し、約一時間後の午後二時一〇分ころ、心肺停止状態に陥り、その後直ちに行われた心肺処置及びこれに引き続きなされた救急蘇生術の施術にもかかわらず、一度も心肺機能を回復せず、心電図上の所見でも、当初から心室細動を示し、交感神経刺激剤の投与によって心室頻拍になるものの、正常洞を示すことなく心室細動に戻るという、特異な心電図異常を示していたこと、また、トリカブト毒及びフグ毒のヒトに対する致死量はいずれも約二mgであるところ、秋子に実際に投与されたトリカブト毒及びフグ毒の量を厳密に確定することはできないが、秋子の体重が四七kgであり、右の各毒が対内に均一に分布していたとしてその毒量を推計すると、トリカブト毒の量は、致死量をはるかに超える約5.9mgであるのに対し、フグ毒のそれは、致死量に満たない約1.24mgであることが認められるのであって、以上認定した秋子の死亡に至る経緯及びその際の秋子の症状、とりわけ心電図異常に示される特異性や推計される毒量に照らして考えると、秋子が、致死量を超えるトリカブト毒を服用し、アコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全により死亡したことは明らかである。

そして、秋子は、ホテルに到着した午後一時一五分ころには大量に発汗し、そのすぐ後に悪心、嘔吐を訴えるなどしていたのであるから、午後一時一五分ころの時点で既にトリカブト毒の中期の中毒症状を呈していたものと認められ、したがって、初期の中毒症状が発症した時刻はこれより以前であったと考えられるが、全証拠を検討しても、初期の中毒症状の発症時刻を確定することはできないから、証拠上認定できるトリカブト毒の中毒症状の発症時刻としては午後一時一五分ころと推定するのが相当である。

また、秋子の死亡に至る経過にかんがみると、秋子は、救急車で搬送途中の午後二時一〇分ころ、既に心肺停止状態に陥っており、病院に搬入された後、直ちに装着された心電図上でも当初から心室細動を示しており、救急隊員及び医師により、Fらの懇請もあって、その直後から約一時間にわたり心肺処置及び救急蘇生術が施されたが、一度も心肺機能を回復することなく推移したことから、医師は右蘇生術の継続を断念し、施術を止めると同時に心電図がフラットになったというのであるから、秋子は、まさに心肺処置及び救急蘇生術により延命されていたものということができるのであって、心肺停止状態に陥った午後二時一〇分ころには、秋子は、実質的には既に死亡していたものと理解することができる。

四  トリカブト毒の服用の方法

以上のとおり、秋子がトリカブト毒を服用したことは明らかであるので、さらに、その服用の方法につき検討すると、関係証拠によれば、トリカブト毒は、自然界においてキンポウゲ科植物であるトリカブトにのみ存在するもので(日本における主な自生種は、カラトリカブト、別名ハナトリカブト又はカブトギクと、オクトリカブト、ヤマトリカブト、エゾトリカブトの四種類である。)、人体における体内合成はあり得えず、化学的にこれを合成することもできないこと、これを経口的にそのまま摂取することは、苦みと痺れの感覚からとても耐えられるものではなく、あえてこれを経口摂取するとすれば、カプセルなどの媒介物(以下単に「カプセル」という。)を用いる必要があることが認められる。そうすると、秋子は、トリカブト毒をカプセルに詰められた状態で服用したものと推認することができる。

五  自殺ないし過失死でないこと

本件全証拠を検討しても、秋子に自殺を疑わせるような証跡はなく、前述したトリカブト毒の存在形態や、経口摂取が困難であることに加えて、関係証拠から認められる沖縄県にはトリカブトがそもそも自生していないことや、また、前述したとおり、秋子の心臓血からはトリカブト毒のほかにフグ毒も検出されていることからすると、秋子の服用したカプセルが人為的に作られたものであることは疑う余地のないところであると考えられる。そして、以上の事実に照らすと、秋子が、誤ってトリカブトを食したことも、これらの毒物の詰められたカプセルをそれと知りつつ過って飲んだということも、到底考えられないから、秋子について自殺ないし自ら又は他人の過失により死に至ったということを考える余地はなく、秋子は、犯人からトリカブト毒とフグ毒の入ったカプセルを交付され、カプセルに二つの毒物が入っていることを知らずに、これを服用して死亡したものと考えるほかはなく、本件が、情を知らない秋子を利用して同女を殺害した殺人事件であることは明らかである。

第三  犯人と被告人とを結び付ける事実

一  総論

前述したとおり、本件は、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを秋子に交付し、情を知らない秋子を利用してこれを服用させて殺害したという殺人事件であるが、カプセルの交付及び服用につき、直接これを目撃した者は存在せず、被告人も捜査・公判を通じて一貫してこれを否認しているので、殺人罪の成否を判断するに当たっては、犯人と被告人とを結び付ける間接証拠を検討することが必要である。

そして、前述した秋子の死亡に至る経緯のほか、その服用の方法に照らすと、犯人が秋子にカプセルを交付する機会を有していたこと、及び秋子を殺害することにより何らかの利益を得るという犯行の動機を有していたことが、犯人像を特定する上で、重要な事実であることは疑いのないところである。しかも、本件における殺害手段の特徴は、その毒性において、自然毒の中で一位と二位を占めるといわれているトリカブト毒とフグ毒という代表的な二つの毒物が用いられた点に存するのであって、毒の研究者は、別として、一般人が時を同じくして二つの毒物に関わること自体が極めてまれであることからすると、トリカブトとフグを入手するのみならず、これらからトリカブト毒とフグ毒を抽出し、これらを所持・保管していたという事実は、犯人を特定する上で極めて重要な事実であるということができる。また、前述した服用の方法のほか、二つの毒物の数量的な組合せ方に有意の差を見出すことができることからすると、二つの毒物を入れるカプセルを所持し、二つの毒物の毒性についても相当な知識を有していたという事実も、犯人を特定する上で欠かすことのできない重要な事実ということができる。そして、一般人について、社会通念上、毒物に関わるこれらの事実がすべて認められるということはほとんど有り得ないことを考えると、ある特定の人物について、これらの事実が認められた場合には、その者を犯人であるとすることにつき、証拠法則上、既に合理的な疑いを容れない程度に証明がなされたものということができる。

そこで、以下、被告人の生活状況、トリカブト及びフグとの関わり、大阪転居ないし転居後の生活状況、秋子死亡後の被告人の言動等につき、順次検討を加える。

二  被告人の生活状況

1 被告人の職歴及び住居等

関係証拠によれば、判示第一(被告人の身上、経歴及び殺人の犯行に至る経緯など)で認定した事実の外、次の事実を認めることができる。

被告人は、上京後の昭和四七年七月ころ、東京都台東区東上野所在の株式会社光輪モータース(以下「光輪モータース」という。)に入社して、約半年間勤務し、翌四八年二月ころ、同都墨田区吾妻橋所在の谷内税務会計事務所に職場を変えて約五か月間勤務した後、同年九月ころ、同都千代田区神田駿河台所在の業務用空調機の製造販売を目的とするピーマックに入社し、以後七年間勤務して、経理課長、経理部副部長等を歴任して同社の経理業務を統括し、退職時には年収(税込)五二四万円余の給与・賞与を得ていたが、在職中に総額一億八〇〇〇万円余りを横領して後記の七戸のマンションを購入するなどし、やがて横領の事実の発覚を恐れて昭和五五年一二月一五日ピーマックを依願退職した。その後、被告人は六年間にわたり、無職・無収入の状態を続けていたが、昭和六一年一二月一七日、同都足立区青井所在の自転車部品の製造販売を目的とする栄輪業に入社し、昭和六三年三月には経理部長に昇進したものの、その後約二年余りの間に時価合計七億七一六九万八〇〇〇円に上る判示第四の株券の業務上横領及び横領の犯行を重ねたため、辞職を勧告されて、平成二年一一月二一日、栄輪業を退職した。

被告人は、昭和四〇年二月一九日、春子と婚姻し、同都足立区竹の塚所在の竹の塚団地五〇一号室などに居住した後、昭和五五年二月ころからは、同都台東区根岸のユテライズ根岸八〇三号に居を構え、その間、光輪モータース在勤中に、夏子と知り合って愛人関係を結ぶ一方、昭和五四年五月ころから銀座のクラブのホステス三人と次々と交際し、昭和五八年三月ころまでの間に、これら交際していた女性のために同都葛飾区東新小岩所在のみのりハイツ四〇五号、同都品川区大崎所在の大野荘二階、同都荒川区東日暮里所在の能美コーポ四〇五号を順次賃借したほか、家財道具を用意したり、宝石専門学校への入学手続を取ってやったり、あるいは一緒に旅行したりするなどしていた。そして、判示のとおり、被告人は、昭和五六年七月二〇日春子が死亡した後、同年一二月ころからは、同都豊島区西池袋所在のソフトタウン池袋一一〇三号に移り住み、既に同所で生活をしていた夏子と同棲をはじめた。そして、昭和六〇年九月三〇日夏子が死亡した後も、大阪に転居する昭和六一年一月中旬ころまで同所に居住していたが、その間これとは別に、昭和五六年一〇月一日から昭和五八年九月三〇日まで、東京都荒川区東日暮里所在のコーポ塚田三〇三号を、同年九月一六日から昭和六〇年一一月三〇日まで同都荒川区東日暮里所在の晴光荘二階七号をそれぞれ賃借していた。

一方、被告人は、判示のとおり、昭和六〇年一一月一四日、大阪府寝屋川市香里南之町一番一二号のグランドハイツ三号館一〇一号を賃借し、それから間もない同年一一月一八日、東京都豊島区池袋のクラブ「カーナパリ」を訪れて秋子と知り合い、間もなく同女と結婚の約束をし、翌六一年一月二〇日ころ、秋子を伴って大阪に転居し、大阪市城東区関目所在の寺崎ビル七〇二号で同女と生活を始めた。そして、五月二〇日秋子が死亡した後も、同年七月四日まで右寺崎ビル七〇二号に居住し、また、この間、同年六月ころから七、八月ころまで東京都江戸川区新小岩のタックビルにも居住し、その後上京して、昭和六三年一一月一日から平成二年一一月三〇日まで同都足立区青井二丁目一番一一号のエスポワールトーキン四〇一号等に居住し、同年一二月ころから平成三年六月九日に判示第四の業務上横領及び横領被疑事件で逮捕されるまでの間は、札幌市北区北三二条西九丁目二番一号のシャトー三二の三一〇号に単身居住していた。

2 被告人の資産状況

(一) 夏子死亡当時の資産状況

夏子が死亡した後の死亡保険金取得の前日である昭和六〇年一〇月一五日当時の被告人の資産状況につき検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、ピーマック入社後、昭和五〇年九月二〇日に東京都豊島区南大塚所在のハイネス大塚六〇五号を代金一五九五万円で、同年一〇月二五日には埼玉県草加市瀬崎町所在のパークマンション四〇二号を代金九五〇万円で、昭和五一年二月一一日には前記ソフトタウン池袋一一〇三号を二八九〇万円でそれぞれ購入するとともに、ピーマックから総額一億八〇〇〇万円余りを横領し、これを元手に、昭和五二年三月七日に東京都豊島区西池袋所在のソフトタウン池袋一一一三号を代金一五九〇万円で、昭和五三年六月五日には、同都新宿区西新宿所在のストークマンション新宿七一二号を代金三六五〇万円で、同年六月一三日には同都千代田区神田駿河台所在のアルベルコお茶の水七〇五号を代金約一〇〇〇万円で、また、昭和五五年二月三日には前記ユテライズ根岸八〇三号を代金三〇五〇万円でそれぞれ取得していたが、こうしてマンションを購入する一方で、ソフトタウン池袋一一一三号、アルベルコお茶の水及びパークマンション四〇二号を売却したため、ピーマック退職時には、ソフトタウン池袋一一〇三号、ストークマンション新宿七一二号のほか、当時の住居であるユテライズ根岸八〇三号の三戸のマンションを所有するだけとなっていた。

被告人は、ピーマック退職後、無職・無収入の状態にあったが、退職前から出入りしていた銀座のクラブ等でホステス相手に豪遊するなどして湯水のように金銭を費消していたため、これに充てる遊興費や生活費を捻出するために、昭和五六年一一月四日にはユテライズ根岸八〇三号を代金三二〇〇万円で売却し、また、昭和五八年二月二〇日と九月二〇日には春子の実姉J(以下「J」という。)から合計五四五万五八一〇円を借り受け、さらに同年四月二五日から六月九日にかけて武富士、レイク、アコム、プロミス等のサラ金四社から順次借入れを始め、同年一〇月二八日には日本信販株式会社(以下「日本信販」という。)から一〇〇〇万円(年利8.28%、六〇回払い、各月二万三五六六円宛)を、昭和五九年一月二〇日にはシティコープ・クレデイット株式会社(以下「シティコープ」という。)からソフトタウン池袋一一〇三号を担保に一〇〇〇万円(年利13.7%、一八〇回払い、各月一三万一一六四円宛)を、同年七月二七日にはアイク信販株式会社(以下「アイク信販」という。)から同じくソフトタウン池袋一一〇三号を担保に一〇〇〇万円(年利19.71%、一二〇回払い、各月一九万二〇〇〇円宛)をそれぞれ借用するとともに、昭和六〇年二月八日にはストークマンション新宿七一二号を代金四六〇〇万円で売却するなどしていた。

こうして被告人は、ピーマック退職時に所有していた前記三戸のマンションのうちの二戸を売却し、唯一のマンションとなったソフトタウン池袋一一〇三号にも既に二つの担保を設定していたが、夏子死亡後の昭和六〇年一〇月一五日の資産状況は、資産として、時価約三〇〇〇万円相当のソフトタウン池袋一一〇三号と夏子に買い与えた時価約三八〇万円相当の宝石八点並びに富士銀行室町支店に対する一〇〇万円の定期預金があり、総額約三四八〇万円の資産を有していたが、他方で、前記のサラ金四社とクレジット会社三社及びJなどに対する借入金債務を五一二二万五〇〇〇円余りを抱えていたほか、取引銀行である第一勧業銀行神田支店(貸越限度額五〇万円)、第一勧業銀行池袋副都心支店、富士銀行室町支店(貸越限度額九〇万円)及び大和銀行新宿西支店の四つの銀行口座の預金残高も、差引きマイナス一二二万七〇〇〇円余りという貸越限度額に近い借越し状態にあり、債務が資産を一七六五万円余り超過した状態となっていた。そのため被告人は、一〇月四日に執り行われた夏子の葬儀費用七九万四〇〇〇円を支払うことができず、一〇月八月に武富士とレイクから借入れた金員でその支払いを済ませ、その後、同年一〇月一六日には日本ダイナースクラブカードで富士銀行から三五万円を借り入れるなどしていた。

(二) 大阪転居当時の資産状況

次に、被告人が大阪に転居した昭和六一年一月当時の被告人の資産状況につき検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、昭和六〇年一〇月一六日、朝日生命から夏子の死亡保険金一〇二三万九八一〇円を取得したが、前記のサラ金各社の外、日本信販等のクレジット会社に対する各借入金の返済(合計二五五万五〇〇〇円余り)及び大阪のグランドハイツ三号館一〇一号と寺崎ビル七〇二号の賃貸借契約の費用等(合計一五一万八〇〇〇円)、また、ダイナースクラブカード及び西武カストマーズカードの各利用代金(合計二四九万八〇〇〇円余り)、さらに、秋子へのスーツやミンクのコート、ダイヤモンドの指輪などの贈り物やその他の飲食代金などに次々と支出していったため、わずか二か月半後の昭和六一年一月六日までに夏子の死亡保険金を全額費消してしまい、被告人がもっていた四つの銀行口座の預金残高も再び差引きマイナス一一五万四〇〇〇円余りという貸越限度額に近い借越し状態になるなど、以前と同様の経済的に追い詰められた状態になっていた。

そのため被告人は、これに先立つ昭和六〇年一一月三〇日、夏子の医療費として国民健康保険高額療養費九万八一一〇円を東京都豊島区に請求したり(一二月二三日入金)、一二月四日には西武百貨店宝飾部に夏子の宝石八点を一〇〇〇万円の売却希望額で処分を依頼し、また、一二月一七日には朝日生命に対して、被告人を被保険者、夏子を保険金受取人とする特別終身年金保険の解約を請求して、解約返戻金八四万三三八二円を取得するとともに、そのころ、アイク信販に対して一五〇〇万円の追加融資の申込みをしたり(ただし、融資の実行は保留された。)、ダイナースクラブカードでの支払いを主にするなどの方策を講じたが(ちなみに、昭和六〇年一一月一二日から昭和六一年一月一〇日までの約二か月間の利用代金を合計すると、二七五万三〇〇〇円余りになる。)、これでも補い切れず、いったんは夏子の死亡保険金を充てて返済したサラ金から再び借入れを始めるようになり、昭和六一年一月一三日にアコムから五〇万円、同月一七日にはレイクから五〇万円とダイナースクラブカードで富士銀行から三五万円、また、同月二三日には武富士から五〇万円をそれぞれ借用し、これらの一部を、一月二四日支払いのアイク信販の一月返済分と一月二八日支払の日本信販及びシティーコープの一月返済分にそれぞれ充ててその場を凌いだが、これらの翌月分以降の返済(一か月当たり合計三四万六七二〇円の支払いになる。)を継続できる目処のつかない状況にあった。

(三) 大阪転居後犯行に至るまでの間及びその後の資産状況

次に、大阪転居後犯行に至るまでの間及びその後の被告人の資産状況につき検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、アイク信販、シティーコープの二月分以降の返済を懈怠すれば、担保権を実行され、残された唯一のマンションであるソフトタウン池袋一一〇三号を失う危険が生じたことから、これを回避するため金策に走ったが、オリエント・ファイナンス渋谷店で断られた後の昭和六一年一月下旬ころ、いわゆる高利貸しの三和信用ことZ(以下「三和信用」という。)を訪れて融資を申し込むとともに、そのころアイク信販に一括返済の申し出をし、同年二月三日、三和信用から合計一八〇〇万円(返済期日同年七月二日の一〇〇〇万円につき五か月で一五%、返済期日五月二日の八〇〇万円につき三か月で一二%。利息天引のため、手取額は一五五四万円)を借入れ、アイク信販に対する残債務九四六万五〇〇〇円余りを返済するとともに、一月に借入れた前記サラ金三社からの債務合計一五二万円余りを完済した。その結果、被告人のこの時点の資産状況は、資産に変動はないものの、四つの銀行口座の預金残高は二七〇万八〇〇〇円余りの貸越し状態にあり、一方、負債は、三和信用、シティーコープ、日本信販及びJに対する借入金債務が合計して四六七三万九〇〇〇円余りあり、以前に比べて好転したかのような外観とはなかったが、依然として債務超過の状態にあり、長期借入金債務の代わりに、三か月ないし五か月先を返済期日とする短期借入金債務を負担したことにより、その内実はさらに行き詰まった状態となり、返済のための資金繰りは一段と苦しくなっていた。

そのため、被告人は、同年二月二一日、三月二七日、四月一九日、五月一七日にそれぞれダイナースクラブカードで富士銀行から三五万円を借入れ、三月四日、三月一七日、四月一日にサラ金四社から合計一七〇万円を借入れて、これら借入金の一部で、後記のとおり、そのころ加入した住友生命、明治生命及び三井生命の第一回目の保険料を支払い、同年三月ころ、先に一〇〇〇万円で売却依頼していた前記宝石八点につき、税金を納めるのに至急現金が必要になったとの口実で、三〇〇万円でいいから売ってほしいと言って売り急がせるなどし、同年四月一〇日、その売却代金三八〇万円を受領して、前記サラ金四社からの借入金を返済したものの、五月七月には再びサラ金三社から合計一二〇万円を借入れ、これで五月一二日引落のダイナースクラブカードの利用代金一〇八万九〇〇〇円余りを決済し、同じく五月七月、三和信用に対し利息六四万円を支払い、新たな貸付けを受けた形にして、五月二日の八〇〇万円の支払債務を延期するなどして何とかやりくりをする一方、同年二月三日以降も、沖縄・石垣島旅行の費用等で多額の金銭を費消したため、五月二〇日時点の被告人の資産状況は、宝石八点が処分されたことにより、総額約三一〇〇万円相当の資産を有する一方、三和信用、シティーコープ、日本信販、J及びサラ金からの借入金債務合計四七九四万三〇〇〇円余りのほか、同日までのダイナースクラブカードの利用代金が一九一万七〇〇〇円余り及び前記四つの銀行口座に加えて、新たに取引を始めた第一勧業銀行香里支店及び住友銀行京橋支店の預金残高も、差引きマイナス七七万四〇〇〇円余りの借越し状態にあり(なお、第一勧業銀行神田支店では二月二一日の時点で既に貸越限度額に至ったためその後の取引は一切なく、富士銀行室町支店では貸越限度額に近い八〇万一七七八円の借越し状態にある。)、債務が資産を一九六三万円余りも超過するいわゆる「火の車」の状態に陥っていた。

そのため、被告人は、秋子が死亡した五月二〇日夜には、「お金がないので秋子の財布が欲しい」と言って、Eから秋子の遺品である財布を受取り、また、告別式を終えて、秋子の親族と一緒に寺崎ビルに戻った五月二五日ころには、「一緒にやっていた仕事を辞め、投資したお金も返ってこなくなった。今月は給料も入ってこない」などと言って、秋子の両親から三〇万円を貰い受け、さらに、六月二日には、被告人の義母から一二〇万円を借り受けて、六月一〇日引落のダイナースクラプカードの利用代金一四五万六〇〇〇円余りを決済し、六月二七日には、唯一の所有マンションで三和信用から高金利で借金をしてまで守ったソフトタウン池袋一一〇三号を自らの申し出により矢野嘉章に三〇〇〇万円で売却し、そのうちから、三和信用に一八〇〇万円を、シティーコープに九五六万八〇〇〇円余りを支払って一括返済したが、その際、右矢野に対し、「大阪に帰る旅費がないから一〇〇万円くらい欲しい」と言って泣き付くなどした。その後、同年八月には、富士銀行室町支店の普通預金口座の預金残高不足により、八月四日引落の西武カストマーズカードの利用代金六二万円余り、八月一一日引落のダイナースクラブカードの利用代金一〇八万四〇〇〇円余り、九月一〇日引落のダイナースクラブカードの利用代金六〇万一〇〇〇円余りがいずれも支払不能となり、九月にはサラ金各社に対する返済も不能となったため、被告人に代わって義母がサラ金各社に送金してこれら債務の返済を済ませた。

3 被告人の職業・仕事

被告人が、ピーマックから横領した金員で次々とマンション購入して資産を形成し、ピーマック退職後六年間は無職・無収入で、その間、マンションを売却したり、サラ金やクレジット会社から借入れをするなどして遊興費や生活費を捻出し、他方で、ピーマック在職中から銀座のクラブに出入りし続け、遊蕩にふける日々を重ねていたことは、前述したとおりであるが、被告人が、ピーマック在職中の昭和五四年八月ころから保険金請求訴訟を取下げた平成二年一一月一三日までの間、自己の職業につき、どのように述べていたかについて検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、ピーマック在職中の昭和五四年八月ころから、しばしば同僚のKを連れて主に銀座のクラブで遊興し、一回当たり三、四万円程度の代金を自ら支払っていたが、Kに対しては、「自分は経理のアルバイトをしているし、マンションを貸しているので、金には困らない」などと説明し、また、ピーマックを退職するに際しては、「古手の税理士の看板を預かっている。得意先が約三〇件ほどある。独立してその仕事を続けたい。将来はコンピュータを駆使した経営コンサルタント的な仕事をしたい」などと語っていた。

被告人は、昭和五五年一二月にピーマックを退職した後、「甲野経営経理事務所 甲野一郎」と記載した名刺を作り、その裏面に「コンピュータ会計、企業会計システムの立案、原価計算制度の制定、その他経理事務全般」ないし「コンピュータ会計、企業会計制度の立案設定、原価計算システムの立案設定、その他企業会計全般」とその業務内容を記載し、事務所として、コーポ塚田三〇三号を記載し、昭和六〇年一一月ころには、東京事務所としてソフトタウン池袋一一〇三号を、また、大阪事務所としてグランドハイツ三号館一〇一号を併記していた。

被告人は、昭和五八年一〇月二八日、日本信販から一〇〇〇万円を借入れる際、申込書に、甲野経営経理事務所を経営しており、事務所はコーポ塚田三〇三号にあり、勤続一七年で、収入は税込で一一〇〇万円である旨記載していた。

被告人は、昭和六〇年一一月一八日クラブ「カーナパリ」で秋子と知り合って、結婚を申し込んだ後、秋子との結婚の同意を求めるため、一一月二七日から一二月一日にかけて秋子の友人のD、E、Fを順次秋子と共に接待したが、その際、秋子の友人Eらに対しては、東京及び大阪事務所の記載のある前記名刺を渡すなどした上、「公認ではないが会計士をしている。中小企業何一〇社を相手にして経営コンサルタントをしている。マンションを売却して夏子のために使い、残りの五〇〇〇万円位をある会社に融資している」などと述べ、また、そのころKに対しても、「経営コンサルタントをしている。古手の税理士の看板を借り、三〇件ほどの得意先を顧問先としてもっている。顧問料は月一件あたり五万円位入ってくる。月収約一五〇万円ほどある。得意先の五、六人と大阪に食品会社を興しに行く。一年位たてば目処が立つので、東京に戻る予定である。得意先は企業秘密だから教えられない」などと語っていた。

被告人は、秋子が既に被告人との結婚を決意して仕事を辞め、両親への結婚の報告と承諾を得るため青森県南津軽郡の実家に帰省するに際し、秋子の両親の承諾を得るために、昭和六〇年一二月一八日付けで秋子の両親に宛てて、「昭和四〇年ころアルバイトをはじめ、昭和四三年ころ甲野経営経理事務所を開設した。中小企業の会計制度や原価計算のシステムを作成し、記帳から決算までの実務指導と実務に精通していない税理士の依頼による税務申告の準備を主な業務とし、日本ダイナースクラブに入会を許可され、社会的信用もつき、仕事は大変順調であった。夏子の看病のために仕事も年収一〇〇〇万円程度まで整理し、三年間は二〇年間続いた取引先の中から食品関係の確実な取引先一二社を選び、それぞれの経営者と合議しながら、一つの連合体にまとめ、仕入部門から製造部門までを一本化し、販売部門のみを独立採算制の一二の会社として運営して行く方式を指導し、現在それを達成した。同時に、一二社には大阪に支店を開設しているところが多く、その取りまとめと経営指導も行わなければならない仕事が残っていたが、夏子が死亡したので、この残された仕事を一年間の予定で大阪で行ない、東京に戻った後は、新しく発足する仕入れ製造会社への経営参加と一二の販売会社の経営指導が主な仕事になる。昭和六〇年一一月初めころ、大阪行きを両親や友人に話した。年収一〇〇〇万円程度の収入で一応人並みな生活はしていけると思う」などと便箋一三枚に自己紹介の手紙を書き、これを秋子に持参させた。

被告人は、秋子死亡後、マスコミから疑惑の主として取材攻勢を受けていたが、昭和六一年七月一日、Kと帝国ホテルで会った際、マスコミ対策に必要だからこれから言うことを書き取ってくれと告げた上、自己の資産形成過程等につき、一七項目にわたってメモ等を見ることなく説明し、会社の設立に関して、「昭和五八年ころから、大阪での食品会社の準備を始めた。スーパーに卸す食品を作る。会社の食堂に素材を納ある。新会社に四〇〇〇万円を投資した。昭和六〇年四月に新宿のストークマンションを四六〇〇万円で売却し、残りの一九〇〇万円の中から一五〇〇万円を新会社に投資した。投資額は合計して五五〇〇万円になる。アイク信販に二〇〇〇万円の抵当を付けたが、町の金融業者から一八〇〇万円を借り、一〇〇〇万円をアイク信販に返し、残りの八〇〇万円のうち五〇〇万円を新会社に投資した。昭和六一年六月に会社が設立されると、六〇〇〇万円の三分の一の二〇〇〇万円が返済される。秋子が亡くなり、会社を継続する意思がなくなったので、六〇〇〇万円がパーになる。新会社を設立する際に、Jから倍返しの約束で七五〇万円を借りた」などと述べていた。

被告人は、日刊スポーツが昭和六一年七月一八日から「緊急連載『三人の妻が死んだ!』」と題して被告人に対する疑惑の報道を始めたのを皮切りに、他のマスコミも加わって、そのころから同年八月にかけて被告人に対して厳しい報道が相次いだことから、一時その身を隠し、その間これに対抗して、同年九月ころから「マスコミの中傷にさらされてーわたくしの半生―」と題する手記を書き始め、同年一一月ころこれを完成させたが、その中で、自己の職業につき、「昭和四〇年二月ころから経理事務のアルバイトを始めた。昭和四五年一一月簿記二級に合格し、アルバイトも順調に伸び、信用もついた。昭和四七年一月甲野経営経理事務所を開設し、中小企業の経営指導も自信をもって行うことができた。同年六月簿記一級に合格し、これをアルバイトとし、会社に戻ることにした。昭和四八年九月ピーマックに入社。退職するまで経理部の責任者として仕事をした。アルバイトも順調に伸び、収入は給料と合わせると相当な額になった。昭和四九年ころから不動産売買により資産の運用を図る。昭和五五年一二月ピーマックを退職した。昭和五六年一月事務所の業務を見直し、今後は経営指導を中心に据えることにし、かねてからの懸案であった、私の経営指導に耳を傾け、商品の仕入・加工の共同化に賛成する関与先との共同事業を具体化することにした。一一月には、関与先との共同出資による新会社設立に向けて、十分な準備期間を設け、市場調査や設備投資等を行うなど、積極的に取り組むことにした。夏子と結婚した昭和五七年一〇月新会社設立準備も具体的に動き出した。夏子の病気のため十分な時間が取れず、やむを得ず、他の業務を止め、新会社の設立準備だけに仕事を限定し、以来、三年間、不動産を次々と売却し出資した。夏子が死亡し虚脱状態となり、設立準備中の会社の事務手続を関与先に依頼し、経営参加も一時見合わせ、以前から関与先に依頼されていた、大阪支店の経営指導と各支店の取りまとめを一年間の予定で大阪に出向き行うこととした。一二月秋子と知り合い、結婚の約束をし、大阪に行くことも了解してくれた。昭和六一年一月大阪に転居した。新会社設立の準備も進み、再び、役員として経営に参加することを承諾し、最後の出資をした。本年七月を目標に会社設立を準備し、設立後、傷病保障をも含め経営者保険に加入することにした。五月秋子が死亡し仕事に対する意欲を失った。関与先に新会社への経営参加を辞退し、経営指導で寄与することを申し入れた。六月関与先から会社設立の総ての業務から手を引くように話があり了解した。その後、新会社設立は中止となり、出資金の返済は不可能であるとの説明を受け了解した。池袋の自宅を売却し借入金の返済をした。七月激しい中傷に見舞われ、社会的信用は完全に失墜し、仕事は総て失った。九月に入り、甲野経営経理事務所は既に無く、収入の道も跡絶え、総ての財産を失った。家財道具も総て売り払い、借金の返済に充てた。関与先の会社名だけは、二〇年近く世話になり、私の半生を経済的に支えてくれた方々であり、絶対に答えることはできない。これが職業会計人としての私の誇りである」などと書き連ねた。

被告人は、昭和六一年一二月一二日、安田生命外三社を被告として保険金請求訴訟を東京地方裁判所に提起したが、その原告本人尋問の中で、自己の仕事につき、「コンサルタント業的な仕事で、約一〇社の得意先を持ち、いずれも新会社設立関係の会社で、顧問料は最近では一〇万位、年収は一四〇〇万円位で、新会社からの報酬が一〇〇〇万円、顧問料が四〇〇万円である」、新会社につき、「昭和五五年ころ四つの不動産を持ち、時価にして一億八〇〇〇万円あったが、夏子と結婚した後、新しい会社をやろうということで、次々と売って投資した。最終的に一億くらい投資した。新会社は食品加工の会社で、加工工場を建てて、農家から生鮮食料品をじかに仕入れ、単身者向けに細かく新鮮なものを作って食品スーパーで売る。協力者は全部で一三人。七月に新会社が発足する。大阪に行ったのは自分の関与していた会社の大阪の支店と、七月から始めようとしていた会社の売り先、野菜その他の仕入れ先、そういうものの調査を大阪でやるということで行った。夏子が死んだ時、非常に辛かったもんだから、取引先の方がしばらく東京を離れた方がいいんじゃないかという好意があり、その取引先の支店をみてくれということ、大阪の市場調査をしてくれという勧めがあって大阪に行った」などと供述していた。

右のとおり、被告人は、かつて、自己の仕事ないし職業について、経理のアルバイトをしていた、甲野経営経理事務所を経営し、多数の得意先を持ち、経営コンサルタントをしていた、関与先と食品会社を設立すべく準備中であったなどと主張していたが、関係証拠に照らし、これらがすべて虚偽であることは疑いを容れないところであり、被告人も、公判ではこれを認めるに至っているところである。

そして、前記第三の二の2で認定した被告人の資産状況にかんがみると、被告人の右虚偽が、主として多数のマンションの購入とその後の売却ないしは多額の借り入れという資産、収入に向けられたものであることは明らかであり、また、食品会社設立の話がなされた時期に照らすと、これが大阪転居の理由として語られたことも明らかというべきである。

被告人は、右のとおり、自己の仕事ないし職業に関する従前の主張が虚偽であったことを認めているところ、他方で、「株式会社ヘルシー経営企画書」を復元したとして、これを陳述書に添付して提出した上、「春子が生きている昭和五三年ころから食品会社を企画し、春子が死亡した五六年ころから、株式会社ヘルシーの名称で、栄養食品を毎食宅配する食品会社を作ろうと思い、三年くらいかけて、すべて料理を実習したうえで献立を作り、魚料理・肉料理などあらゆる種類の料理の資料を作った。夏子にも協力してもらった。Jから投資してもらったが、夏子と再婚し、夏子の病気の看病で延び延びとなり、六〇年に新たに会社をやろうとして、Jから再借入れの手続をした。Kには食品を販売する会社として説明し、秋子には企画書を見せて説明した。株式会社ヘルシーは、秋子の両親宛の手紙で書いた会社との別のものである。大阪では、関西風の味付けを調査し、販路の調査もしてみるつもりであった」などと述べて、大要、ピーマック退職後は、無職・無収入ではあったが、食品会社設立を計画し、そのために、すべて実習したうえで献立を作り、料理の資料を作り、経営企画書を書くという仕事をしていた旨、新たな主張をしている。

しかしながら、被告人が新たに主張し出した食品会社設立計画というのは、被告人が従前主張していた食品会社設立の話とは全く異なるものであり、もし、真実、この食品会社設立計画の話というのが存在したというのであるならば、被告人の口から当然他に語られてしかるべきであると思われるのに、関係証拠を総合しても、被告人から食品会社設立計画の話を聞いたという者が誰一人として存在せず、また、これを裏付けるに足りる客観的証拠も存しないのである。したがって、右食品会社設立の話も虚偽の弁解であるというほかない。

そして、右主張は、その内容自体から見ると、従前の弁解とは異なり、資産、収入に向けられたものとは解されないが、自ら提訴した保険金請求訴訟の控訴審で秋子の死因がトリカブト中毒によるものであることが明らかとなり、さらに、自己がトリカブトを購入したことも明らかとなった後に、しかも、平成三年六月九日に業務上横領及び横領容疑で逮捕された直後(同月一二日付け調書)から、自己に不利益であるはずのマウスやエタノール、エバポレーターなどとの関連において、購入先の名称、住所、購入時期、購入数及び購入価格などを明らかにしつつ進んで語られていることに照らすと、これが大阪転居の理由としてのみならず、既に関わりの判明していたトリカブトからの毒物の抽出とこれを使用しての動物実験を糊塗するために語られた疑いを抱かざるを得ない。

4 まとめ

以上、被告人の資産、負債や職業等その生活状況全般を総合すると、被告人は、昭和五五年一二月にピーマックを退職した後、六年間にわたり無職・無収入の状態を続けた上、ピーマック在職中に横領した金員で購入したマンションを次々と売却するなどして遊興費を捻出し、退職前から出入りしていた銀座のクラブ等でホステス相手に遊蕩三昧の日々を重ね、夏子死亡後の昭和六〇年一〇月には資産を一七〇〇万円以上超過する負債を抱え、サラ金からの借入金で急場を凌ぐ逼迫した状態に既に立ち至っており、そのころ取得した夏子の一〇〇〇万円余りの死亡保険金も翌六一年一月上旬ころまでに使い果たし、大阪転居後の二月上旬にはそれまでの借入金債務に替えて高利、かつ短期の借金まで負担し、本件犯行当時には、金銭的に極めて逼迫した「火の車」の状態に陥っていたことが明らかである。ところが、被告人は、春子死亡後の昭和五八年一〇月から昭和六〇年一一月まで、本来の居住とは別に、コーポ塚田三〇三号及び晴光荘二階七号を一人で使用しており、また、甲野経営経理事務所を経営し、多数の得意先を持ち、経営コンサルタントをして、多額の年収が有ると言って、自己の職業や収入につき虚構の事実を語り、さらに、夏子死亡後には、これに加えて、関与先と食品会社を設立ないし設立準備中であるとの虚偽の食品会社設立の話を語り始め、このような架空の話を前提に秋子を伴って大阪に転居した上、前と同様に、本来の住居とは別にグランドハイツ三号館一〇一号を一人で使用し、秋子死亡後は、保険金を取得するため、自己の資産形成過程や融資状況のほか、一四〇〇万円も年収があると説明し、その後の保険金請求訴訟においても、虚偽の仕事と収入を供述し続けたが、秋子の血液からトリカブト毒が検出されたとの証言がなされると訴えを取下げ、その後、被告人がトリカブトを購入したことも明らかとなり、さらに、自らが業務上横領等の容疑で逮捕されるや、今度は、従前の食品会社設立の話とは異なる、新たな食品会社設立計画という虚構の話を持ち出して、マウスやエタノール、精製水やエバポレーターを購入した理由を説明し、トリカブト毒の抽出とこれを使用した動物実験等を糊塗しようとしたものと考えられるのである。

三  トリカブト及びフグとの関わり

1 トリカブト及びフグの購入

関係証拠によれば、被告人は、福島県西白河郡西郷村大字鶴生字由比ケ原〈番地略〉の山野草販売店「カルミヤ」(経営者A)から、昭和五六年一一月ころから翌五七年九月ころまでの間、四、五回にわたり、鉢植えのトリカブトを合計六二鉢購入したこと、その内訳は、昭和五六年一一月二五日ころに六鉢、昭和五七年七月二日ころから四日ころまでの間に一〇鉢、七月五日ころに一五鉢、八月下旬ころから九月中旬ころまでに一括又は二回に分けて三一鉢であることが認められ、また、関係証拠によれば、被告人は、神奈川県横須賀市走水〈番地略〉で漁業を営むHから、昭和五九年三月ころから翌六〇年秋ころまでの間、六、七回にわたり、内臓に猛毒を持つクサフグを一匹一〇〇〇円の単価で合計して約一二〇〇匹購入したこと、その内訳は、昭和五九年三月ころに約三〇匹、その後間もないころに約六〇匹、夏前に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋に約三〇〇匹、昭和六〇年四月に二〇〇匹ないし三〇〇匹、六月ころにも二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋ころに約二〇〇匹であることが認められる。

被告人がトリカブトを購入した事実は、山野草販売店「カルミヤ」を経営するA、B夫婦からの申し出により、平成二年一二月一七日になってはじめて明らかとなったことは前述したとおりであり、被告人も公判ではトリカブトを購入したこと自体は認めるに至っているところ、A夫婦は、被告人からの注文により仕入先である有限会社L(以下「L」という。)からトリカブトを大量に仕入れて販売したという明確な経験に基づき、最終の販売時から起算して八年経過後に右の申し出をしているのであるが、その後の平成三年七月一〇日被告人との面通しにより自分たちの店からトリカブトを購入したのが被告人本人であることを確認している上、Lからトリカブトを仕入れる度に受け取って保管していた昭和五六年度及び昭和五七年度の納品書及び請求書に基づいて、トリカブトを仕入れた日時・数量の記憶を喚起しつつ慎重に供述しているのであって、購入者の特定、販売の日時・回数・数量、販売時の状況等に関するA夫婦の供述は、いずれも右の明確な経験に基づくもので、信用性が高いものと考えられる。また、被告人がフグを購入した事実も、Hと一緒に漁業を営む同人の息子のIからの通報により、平成三年七月四日になってはじめて明らかとなったことは前述したとおりであり、被告人も公判ではクサフグを購入したこと自体は認めているところ、フグの販売に関与したH、M夫婦、その息子のI、娘婿のNらはいずれも、内臓に強い毒を持っているため獲っても通常は捨ててしまうクサフグを一匹一〇〇〇円という値段でしかも大量に買ってもらい望外の利益を得たという異例な経験をし、こうした経験に基づいて最終の販売時から起算して約六年後に右の通報をし、Mは特異な出来事としてこれをメモし、その後被告人と面通しをしてフグを購入したのが被告人本人であることを確認したもので、H、I及びNの各供述は、基本的部分において一致しており、その正確性に疑いを容れる余地はない。

ところで、被告人は、トリカブト購入の時期・回数・数量につき、「自分が購入したのは、昭和五七年七月ころから九月ころまでの三回で、買ったのは合計五二鉢である」旨弁解し、その目的につき、「ヤマトリカブトは非常にきれいな花だから、あったら買いたいな、と夏子と話していた。夏子は生け花をやっており、『ヤマトリカブトを生け花に使うと斬新で非常に面白いからもっと手に入らないだろうか』と夏子に言われた」などと、既に死亡した夏子をして語らせる弁解をするが、前述したとおり、被告人の購入の時期、回数及び数量に関するA夫婦の各供述は十分に信用することができるものであるところ、生け花用とするには購入した数量自体が余りにも多量である上、証拠によれば、被告人は、トリカブト購入の際に自己の住居や職業を偽って述べていることが認められるのである。加えて、後記三の3で説示するとおり、被告人が一人で使用ないし居住していた晴光荘二階七号、エスポワールトーキン四〇一号及びシャトー三二の三〇一号からトリカブト毒が検出されている事実に照らすと、被告人の右弁解に理由がないことは明らかで、到底信用できるものではない。

また、被告人は、フグ購入の時期・回数につき、「自分が買ったのは、昭和五九年五月ころ、同年の秋ころ、昭和六〇年四月ころの三回だけである」と弁解し、購入の目的につき、「殺人の手段としてフグ毒を用いる意思であれば、二回目までの購入量約一八〇匹で十分であるから、それ以上に大量のフグを購入した事実からも購入目的がフグの調理にあったことは明らかである。株式会社ヘルシーの名前で栄養食品を毎食宅配する食品会社を作ろうと思い、献立を作っていた。魚料理・肉料理などあらゆる種類の料理の資料を作った。その一つにフグ料理があり、フグチリとかフグ刺しも含められたらと思い、実習をやってみようと思った」などと新たな食品会社を設立する計画があったことを前提とする弁解をするのであるが、前述したとおり、被告人がフグを購入した時期及び回数に関するH、I及びNの各供述は十分に信用することができるものであるところ、被告人の弁解する新たな食品会社の設立計画なるものが虚偽であることは前述したとおりであるから、これを前提とする被告人の右弁解に理由のないことは明らかである。加えて、被告人は、クサフグを購入する際に、自らを大学教授の助手と名乗り、先生がフグ毒の研究をするなどと嘘を言って、自己の身分や購入目的を偽っているのみならず、秋子死亡後被告人に向けられた殺人の疑惑の報道記事が新聞・週刊誌などに掲載され、秋子の死因が薬物死ではないかと取り沙汰されるに至った昭和六一年八月ころに、H方に電話を掛け、電話口に出たMに、前同様に虚構の事実を述べて、フグを販売したことを口外しないように口止めするなどしている事実も認められるのであり、こうした事実は、被告人が、自らフグと関わっていた事実が発覚することを怖れていたことを窺わせる事情ということができる。

2 メタノール、エタノール、カプセル、エバポレーター及びマウスの購入

まず、メタノール、エタノール及びカプセルの購入につき検討すると、関係証拠によれば、被告人は、東京都荒川区西日暮里〈番地略〉の十全堂薬局(経営者C)から、昭和五九年七月以前から翌六〇年六月五日までの間、多数回にわたり、五〇〇ml入りメタノール(燃料用で、白いポリ容器に入っており、ラベルにもその旨明示されている)を多数購入していたこと、また、その間の昭和五九年六月一六日から翌六〇年六月五日までの約一年間には、昭和五九年六月一六日、六月二〇日、一一月一日、昭和六〇年四月九日、五月一〇日、六月五日及び年月日は記載されていないがこのころと認められるものを含めて、七回にわたり、合計二六本の同様のメタノールを購入していたことが認められ、また、関係証拠によれば、被告人は、これとほぼ時を同じくして、同都荒川区西日暮里二丁目一八番五号綿木ビル一階にある薬ヒグチ日暮里店(店員O、薬剤師P)からも、昭和六〇年一〇、一一月ころまでの一、二年の間に、数回にわたり、五〇〇ml入り無水エタノール(消毒用で、茶色い半透明のガラス瓶《遮光瓶》に入っており、ラベルにもその旨明示されている。)を購入したこと、さらに、風邪薬のフルカントジン(二〇カプセル入り)及び強肝剤のレバゴルトV(六〇カプセル入り)、鎮痙剤のパボランカプセル(一二カプセル入り)を週に一、二回の割合で購入していたこと、そして、同年九月ころには、製造中止となった右パボランカプセルの在庫品の全部七、八個をまとめて購入し、一度に一〇〇個近いカプセルを入手していたことが認められる。

次に、エバポレーターの購入についてみると、関係証拠によれば、被告人は、同都千代田区鍛冶町二丁目三番一号神田高野ビル一階所在の高野理化硝子株式会社から、昭和五七年六月七日と翌五八年三月二三日に、ロータリーエバポレーター一式を付属品と共に代金合計一四万九五〇〇円及び代金合計一二万四八〇〇円で二回購入し、昭和五七年七月九日には、ロータリーエバポレーターの部分品のガラスセットを代金二万六〇〇〇円で購入していたことが認められる。

さらに、マウスの購入については、関係証拠によれば、正確な購入日時等を特定することはできないものの、被告人は、昭和五七、八年ころ、同都練馬区春日町六丁目一〇番四〇号所在の株式会社日本医科学動物資材研究所から、一回当たり五〇匹の実験用マウスを二、三回にわたり購入したことが認められる。右のうち、エバポレーターとマウスの購入については、被告人が、本件業務上横領等の容疑で逮捕された後に、自ら進んで供述したことにより捜査官に初めて判明し、具体的な購入先や購入した時期、数量、価格についてもいずれも裏付けられるに至ったもので、秘密の暴露を含むものであり、この点に関する被告人の供述は信用できるものである。また、メタノール、エタノール及びカプセルの購入についても、これらを販売したC、P及びQの各供述は、いずれも自己の経験した事実を記憶のとおり述べていることが窺われるもので、その信用性に疑いを挾む余地はない。そして、被告人がこれらのカプセルを取得した時期及び数量に照らすと、被告人は、パボランカプセルを含めてこれらのカプセルを大阪転居後も所持していたものと推認することができる。

ところで、被告人は、メタノールとエタノールの購入の目的につき、「夏子の飼っていた犬の消毒や手の消毒のため、薬ヒグチ日暮里店から無水エタノールを購入していた。同店が休みの時などには十全堂薬局に行って買っていた。十全堂薬局で買ったのがエタノールではなくメタノールであったとは、今まで知らなかった。多分自分の発音が悪くて相手はメタノールと聞き違えたのかもしれない。自分はエタノールのつもりで買っていた」などと弁解をする。しかしながら、被告人が購入したメタノールとエタノールは、そもそもその性質を異にするものであるところ、その容器の形状や表示も明らかに異なるものであり、メタノールについては、被告人は購入する都度、少なくとも七回にわたって自ら毒物及び劇物譲受書に署名していたのであるから、メタノールをエタノールと誤信したまま購入するなどということがあり得ないことは明らかである。また、被告人が十全堂薬局でメタノールを購入したことが書面上明らかな日付けだけを見ても、同じ日に薬ヒグチ日暮里店が開店していたことは証拠上明らかである。加えて、消毒用に購入したとはいうものの、集中して多量に購入している上、消毒用エタノールがあるのに、これよりも濃度が濃く精製水で薄める必要のある無水エタノールを自ら指定して購入し、その際、店の者に老人性痴呆症で医者のまねをしたがるおじいちゃんがいるなどと架空の話まで仕立てあげていること等の事実に照らすと、被告人の右弁解の不自然さは余りにも明らかであり、およそ信用するに値いしないものというほかはない。

また、被告人は、パボランカプセルを購入した目的につき、「夏子が胃痙攣をよく起こしたのでその時に飲ませるため買った。夏子が胃が痛む時に飲むと一番よく効いて、すぐに胃の痛みがとれた」などと、前同様に、既に死亡した夏子を口実に弁解するが、夏子が患っていたのは心臓であり、医師が夏子の病状に対して胃痙攣であると診断した事実もないのであるから、これまた採用の限りではない。

3 トリカブト毒及びフグ毒の抽出・濃縮・保管

前記認定の被告人の居住関係並びにトリカブト、フグ、メタノール、エタノール及びエバポレーターの各購入状況のほか、関係証拠を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、トリカブトは、キンポウゲ科に属する多年生草本で、一年の間に、主根(烏頭)に子根(附子)が付き、秋ころにそれに芽が出て越冬し、春ころその芽が成長して、やがて主根になり、七月から八月ころ開花するという生育過程をたどり、根、葉及び茎にトリカブト毒たるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、ジェサコニチンなどを含んでおり、その毒性は、根に含まれるものが一番強く、メサコニチン、ジェサコニチン、アコニチン、ヒパコニチンの順に強い。トリカブトの根から毒物を抽出する場合には、烏頭が四、五、六月と経時的に毒の含量を減らし、附子はその反対に毒の含量を増やすので、烏頭なら春先、附子なら秋口が望ましく、有機溶媒であるメタノール又はエタノールに漬けることにより容易に抽出でき、これを刻むとさらに効率的であり、また、加熱することにより濃縮も可能であるが、実験室で通常使用する濃縮用器械であるエバポレーターを使用すると、より効率的に濃縮でき、これを乾燥して粉末化することも可能である。また、密閉した容器に入れ、かつ、冷蔵庫に入れて保管すると、三年ないし五年間位もその毒性を維持して保存することができる。

クサフグは、通常三〇gから七〇gの体重を持ち、フグ毒であるテトロドトキシンを含んでいるが、肝臓などに含まれるフグ毒は猛毒で一g当たり一〇〇〇MU以上、皮に含まれるそれは強毒で一g当たり一〇〇MU以上の毒性を有している。一MUとは、体重二〇gのマウスを三〇分で殺す最少致死量を言い、純品一mgは耳かきの大体半分位の量で、ヒトの最少致死量は、体重五〇kgの男性で一〇〇〇〇MUであり、純品で約二mgである。クサフグから毒物を抽出する場合には、一か月ないし数か月、その肝臓等を有機溶媒であるメタノール又はエタノールに漬け、その上澄みを取るという方法により容易に抽出することができる。そして、これを繰り返すことによって濃縮したものを得ることができ、また、抽出した毒物を保存するには、これが抽出液の状態であればかなり安定した状態で保存することができる。なお、メタノールを使った場合には、夾雑物はかなり少ないものの、効率が良くなく、回収率は五〇%にも達しないが、濃縮用器械であるエバポレーターを使用すると、効率的に濃縮することができ、猛毒で夾雑物が少ないものであれば粉末化することも可能である。

被告人は、コーポ塚田三〇三号を使用していた期間中の昭和五六年一一月二五日ころにトリカブト六鉢を購入していたが、昭和五七年六月七日にエバポレーター一式を付属品と共に購入し、これに近接する七月二日ころから五日ころまでの間にトリカブト合計二五鉢を買い求め、その直後の七月九日には、エバポレーターの部分品であるガラスセットを購入し、その後の八月下旬ころから九月中旬ころまでの間に一括して又は二回に分けてトリカブト三一鉢を買い求め、さらに、翌五八年三月二三日には、エバポレーター一式を付属品と共に再度購入し、また、昭和五七、八年ころ、一回当たり五〇匹の実験用マウスを二、三回にわたり購入していた。そして、昭和六〇年六月から八月ころ、当時被告人が居住していたソフトタウン池袋一一〇三号の南西側ベランダには、トリカブトの鉢植えが五、六鉢置かれており、また、被告人は、購入したエバポレーターをその後大阪のグランドハイツ三号館一〇一号に運び入れ、ここを引っ越しするまでこれを所持していた。

被告人は、晴光荘二階七号を使用していた期間中、前述したとおり、いずれもクサフグを昭和五九年三月ころに約三〇匹、その後間もないころに約六〇匹、夏前に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋に約三〇〇匹、昭和六〇年四月に二〇〇匹ないし三〇〇匹、六月ころにも二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋ころに約二〇〇匹、以上合計約一二〇〇匹購入し、また、日暮里駅前の薬局から、いずれも五〇〇ml入りのメタノールを、少なくとも、昭和五九年六月一六日に四本、一一月一日に五本、昭和六〇年四月九日に五本、五月一〇日に六本、六月五日に六本の合計二六本を購入し(なお、毒物及び劇物譲受書の中に本数の記載のないものが二枚存在するが、時期的にこの期間中と考えられる上、右の購入本数をも考えると、さらに一〇本程度を購入しているものと推認される。)、さらに、これと並行して五〇〇ml入りのエタノールを多量に購入し、精製水も購入していた。

ところで、昭和六三年七月一日、捜索差押許可状により、被告人が使用していた晴光荘二階七号の畳六枚(但し畳表は取替え済み)が押収され、これを切断した上、内三枚についてエタノールによる抽出作業を行い、平成三年三月一五日付けで水柿教授らに対し右畳三枚の畳ワラ及び畳三枚のエタノール抽出液等からトリカブト毒が検出されるか否か等についての鑑定嘱託がなされたところ、水柿教授らは、同年一〇月一四日、窓際北端に位置する畳一枚の畳ワラのエタノール抽出液及び西側流し台脇に位置する畳ワラから、それぞれメサコニチンが定性で検出された旨の鑑定書(甲二七一)を提出した。

また、平成三年一月二二日、被告人が居住していたエスポワールトーキン四〇一号を退去する際、被告人からその使用にかかるカーペット二枚(肌色のものとピンク色のもの)の処分を任された者から任意提出を受けた捜査機関がこれを切断した上、同年三月一五日付けで水柿教授らに対し右カーペットの切れ端からトリカブト毒が検出されるか否かの鑑定嘱託をしたところ、水柿教授らは、同年一〇月一四日、肌色カーペットの切れ端からメサコニチンが定性で検出された旨の鑑定書(甲二七三)を提出した。

次いで、平成三年七月二〇日、捜索差押許可状により、被告人が居住していたシャトー三二の三一〇号の冷蔵庫内から密封蓋付ガラス瓶二個等が押収され、平成四年八月三一日付けで水柿教授に対し右密封蓋付ガラス瓶二個からトリカブト毒が検出されるか否か等の鑑定嘱託がなされたところ、水柿教授は、平成五年一一月一〇日、右密封蓋付ガラス瓶のうち一個からヒパコニチン、メサコニチン及びアコニチンが定性及び定量で検出された旨の鑑定書(甲三八五)を提出した。

エバポレーターの仕組みとその使用方法は、次のとおりである。すなわち、エバポレーター一式は本体とガラスセットからなり、ガラスセットは、試料導入管、冷却器、丸底フラスコ、なす底フラスコ、センタージョイントからなり、これが壊れた時には、その部品だけを買い求めることができる。また、その附属品としては、ウォーターバス、サポートジャッキー、アスピレーターなどがあり、これを本体とセットで購入して使用することとなるが、大学の薬学部や製薬会社等の研究機関が主なユーザーであって、一般人が買うことはほとんどない。エバポレーターは、減圧しながら加熱することによって試料を濃縮する器械であり、通常、アスピレーターの太管(突入口)を水道の蛇口にホースで繋ぎ、その横の細管を冷却器に繋ぎ、水道を全開してその水圧により真空状態を作り出し、冷却器、なす型フラスコ及び丸底フラスコ内の空気を抜いて減圧し、有機溶媒と抽出液をなす型フラスコの中に入れ、これを精製水又は蒸留水の入ったウォーターバスの中に漬け、これを回転させながらウォーターバスで加熱するという方法により使用するが、試料によって温度はまちまちであり、減圧、加熱及び回転がうまく噛み合わないと効率的な濃縮はできない。一回に使用する有機溶媒の量は、抽出液と一緒に入れるものと濃縮液を取るときに使うものを含めると四〇〇ml前後で、水道は全開状態で二〇分から三〇分間使用し(通常の家庭用の水道を一時間全開状態で使用すると約六m3になる。)、使用する電気料は、本体が一A、ウォーターバスが五Aの合計六Aである。なお、減圧するためにも、冷却するためにも水が必要であるが、水道の蛇口が一個であっても、水道に二股管を付けるか、アスピレーターの太管(突出口)にチューブを付けることによって使用することができる。

被告人が晴光荘を使用していたころ、晴光荘には五、六所帯が居住していたが、一所帯を除いてはいずれも単身者であり、被告人を含めて二所帯がルームクーラーを使用し、電気(許容量は三〇A)及び水道は共同で使用していた。晴光荘全体の水道使用量は、昭和六〇年八月から一一月までの四か月間のそれが三四五m3、前年同期のそれが三〇五m3、前々年同期のそれが二七八m3であり、また、晴光荘においては、昭和四三年ころ以降一階にある共同ヒューズが飛んだことはなかったが、被告人は、昭和五九年又は昭和六〇年の夏ころ、二度にわたって共同ヒューズを飛ばし、この時には、他に二人の住人しかいなかった。

以上の事実を認めることができる。そこで、以上認定した事実を前提として検討すると、いずれも被告人が一人で使用ないし居住していた晴光荘二階七号に敷かれていた窓際北端に位置する畳一枚の畳ワラのエタノール抽出液及び西側流し台脇に位置する畳一枚の畳ワラ、また、エスポワールトーキン四〇一号で使用していた肌色カーペットの切れ端、並びにシャトー三二の三一〇号の冷蔵庫内の密封蓋付ガラス瓶から、いずれもトリカブト毒が定性ないし定量で検出されたことからすると、少なくとも、被告人が、晴光荘二階七号及びエスポワールトーキン四〇一号において、ガラス瓶などに入れてトリカブト毒を所持、保管していたことは明らかであり、また、被告人がグランドハイツ三号館一〇一号を借用した時期がその中間にあたることを考えると、ここにおいても、同様に所持、保管していたものと推認することができる。そして、右の事実のほか、被告人が晴光荘二階七号を退去してから約二年経過後に押収された西側流し台脇に位置する畳ワラからトリカブト毒が検出されたことからすると、被告人が、晴光荘二階七号において、保存の前提となるトリカブト毒の抽出を手掛けたこともまた推認するに難くないというべきところ、被告人が、晴光荘を借用していた期間中、トリカブトの鉢植えを少なからず所有し、また、専ら研究者が使用し、一般人が通常購入することのないエバポレーターを二式所持し、有機溶媒として使用されるエタノール及びメタノールを多量に購入したほか、精製水も購入し、また、これと符節を合わせるかのように、昭和六〇年八月からの水道使用量が、前年ないし前々年同期に比して四〇ないし六七m3も増加し、二度にわたって共同ヒューズを飛ばしたことなどを併せ考えると、被告人が、昭和六〇年夏ころには、エバポレーターを使用してトリカブト毒を抽出ないし濃縮していた事実も推認することができるというべきである。さらに、トリカブト(附子)の含量が経時的に増える六月にエバポレーター一式をセットで購入し、その毒量の進む夏から秋口にかけて合計五六鉢に及ぶトリカブトを注文して入手し、また、このころにエバポレーター部分品であるガラスセットを買い求め、そのころ実験用マウスまで購入していることに照らすと、有機溶媒購入の事実についての裏付けはないものの、被告人が、コーポ塚田三〇三号においても、昭和五七年六月ころから、エバポレーターを使用してトリカブト毒を抽出ないし濃縮していたこともまた、推認できるというべきである。

次に、フグ毒の抽出ないし保管について検討すると、被告人が使用ないし居住していた住居から、被告人がフグ毒を所持ないし保管していたことを直接窺わせる証拠は見当たらないけれども、被告人が購入したフグの数量が極めて多量であること、この時期に被告人は既にエバポレーター二式を所持し、クサフグを入手した昭和五九年の夏、秋及び翌六〇年四月、六月ころ、いずれも四本ないし六本位ずつメタノールを買い求め、また、エタノールや精製水も購入するなど、エバポレーターを使用するための条件が整った状態にあったこと、クサフグは生物であって、栽培可能なトリカブトと異なること、クサフグの肝臓などに含まれるフグ毒は猛毒であり、メタノールを使用した場合には回収率が少ないものの、粉末化することもできること、そして、関係証拠からは、被告人が、クサフグを購入する際、Iらにクサフグから取れる毒の量について耳かき一杯か二杯しかないなどと具体的に説明していたことが認められることなどを併せ考えると、被告人が、フグを購入した当初から有機溶媒を使ったフグ毒の抽出に着手し、晴光荘二階七号において、エバポレーターをも使用するなどして、集中的にフグ毒を抽出ないし濃縮していたことも推認するに難くない。そして、これら自ら手間暇かけてわざわざ抽出した毒物(液体ないし粉末)を保存するということは極みて自然な行為であるといってよいから、そうだとすると、トリカブト毒と同様に、抽出したフグ毒を被告人はガラス瓶などに入れてこれを保存し、転居先のグランドハイツ三号館一〇一号においてもこれを所持していたものと推認することができる。

以上認定した事実によれば、被告人は、コーポ塚田三〇三号及び晴光荘二階七号においてトリカブト毒を抽出し、また、晴光荘二階七号においてフグ毒を抽出し、こうして抽出したトリカブト毒及びフグ毒をガラス瓶などに入れて保存し、その後、大阪に転居した後はグランドハイツ三号館一〇一号においても右各ガラス瓶などを所持・保管していたものと認めることができる。

ところで、被告人自身も、昭和五七年六月に薬ヒグチ日暮里店で購入したエタノールを使用してトリカブト毒を抽出し、晴光荘二階七号においてもトリカブト毒を抽出し、昭和六〇年五月ころにはフグ毒を抽出し、グランドハイツ三号館一〇一号ではトリカブト毒とフグ毒の各抽出液を瓶に入れて保存し、その後もこれを持ち歩き、エスポワールトーキン四〇一号でもこれを保存していたなどと供述して、トリカブト毒とフグ毒を抽出し、これを保管していたことを認める旨の供述をしているのであり、右供述は、前記認定に合致する範囲で十分信用することができるというべきである。

一方、被告人は、エバポレーター購入の目的につき、「おもちゃ程度のつもりか、水質検査とか何か将来使えるくらいのつもりで買った。例えば醤油を濃縮してみて何が残るか」などと弁解し、また、二台目のエバポレーターを購入したことにつき、「エバポレーターを組み立てた時に細いガラス管を壊し、部品の取替えができないと言うので、もう一つ買った。塚田コーポで組み立てたらフラスコを壊した。そこで、新しくエバポレーターを買った」などと弁解し、その使用状況についても、「晴光荘で組み立てたが、蛇口が二つ必要なのに部屋には蛇口が一つしかなかったので実験できず、減圧試験だけやった。ヒューズを飛ばしたのは事実だが、よく考えてみると、クーラーとテレビで高校野球を見ていて飛ばしたことを最近思い出した」などと弁解するのであるが、前述したとおり、被告人は、その後、自らエバポレーターを使用した方法を語り、減圧のみならず加熱・回転をしたことをも供述しているのであるから、これに反する右弁解に理由のないことは明らかであり、また、購入目的に関する弁解も、前述した捜査段階の被告人の供述に照らすと、到底信用することができない。

4 トリカブト毒及びフグ毒の毒性実験並びにこれらについての被告人の知識の程度

被告人が、コーポ塚田三〇三号において、昭和五七年六月ころから、エバポレーターを使用してトリカブト毒を抽出ないし濃縮していたことは前述したとおりであり、トリカブト毒の毒性を調べるため、実験用マウスを使って動物実験を行っていたことも、マウス購入の時期・回数・数量に照らして、合理的な疑いを容れないところである。

そこで、次に、夏子に対する毒性実験の有無について検討を加える。

前述したとおり、夏子は、昭和五六年一二月ころから、被告人とソフトタウン池袋一一〇三号で同棲を始めたものであるが、関係証拠によれば、夏子は、そのころから健康を損ない始め、以後、昭和六〇年九月三〇日に死亡するまでの間、入・退院を繰り返していたところ、夏子の入院時期及び当時の症状は、次のようなものであったと認められる。すなわち、夏子は、昭和五七年六月一六日、悪心、上腹部不快感を訴えて平塚胃腸病院に入院したが、房室ブロック、ST低下などの心電図異常が認められたことから、同月一八日、救急車で虎の門病院に転院し、ここでも高度房室ブロック、洞停止などの心電図異常が認められたが、その後軽快し、同年七月一一日、退院した(以下「第一次入院」という。)。

夏子は、昭和五八年二月一五日午前九時四五分ころ、舌先・口唇の痺れ、流誕を訴えて虎の門病院に入院し、多源性心室性期外収縮などの心電図異常が認められたが、昼ころには洞調律に戻り、同月一九日、退院した。なお、その際、担当医師は、「ドラッグの副作用あり」「ドラッグは? 漢方(+)」と診療録に記載している(以下「第二次入院」という。)。

その後、夏子は、同年五月二三日から三〇日まで虎ノ門病院に検査目的で入院し、心臓の筋肉の一部を切り取って行う心筋生検検査を受け、同年九月一一日から一七日まで聖路加国際病院に検査目的で入院しているが、いずれも特段の異常は認められなかった。

夏子は、昭和五九年六月一四日、口唇・四肢の痺れ、起立不能を訴えて国立高崎病院に入院したが、心電図異常は認められず、同月一六日、退院した(以下「第三次入院」という。)。

夏子は、昭和五九年七月九日午後一一時ころ、四肢の痺れ、起立不能を訴えて虎の門病院に来院し、翌一〇日入院し、当初は心電図異常は、認められなかったが、翌一一日午前一一時四五分ころ、呼吸停止にまで至り、これがその日のうちに回復した後、一三日午後九時一五分ころ、心室性期外収縮・心室頻拍・多源性心室性期外収縮などの心電図異常が認められたが、翌一四日早朝には洞調律に戻り、同月二二日、軽快して退院した。なお、入院中、担当医師は、夏子がドラッグを持っていないかどうか被告人から聴取しており、被告人からの回答として、「探しても(ドラッグは)なかった」と診療録に記載している(以下「第四次入院」という。)。

夏子は、昭和五九年一一月二二日、口唇・手足の痺れ、悪心を訴えて虎の門病院に来院し、即日入院し、翌二三日午前四時四〇分ころ、呼吸停止を起こし、同日午後一時心室細動の心電図異常が認められたが、午後一時一五分にはこれが消失し、同年一二月一一日退院した。なお、その際、担当医師は、「ドラッグによることが最も考えられるが証拠がない」と診療録に記載している(以下「第五次入院」という。)。

夏子は、昭和六〇年九月三〇日午前二時二〇分ころ、金海循環器科病院に救急車で運び込まれて入院し、午前八時ころに房室ブロックが出始め、午後五時一〇分ころ心室性期外収縮などの心電図異常が出現した後、ペースメーカーが装着されたが、同日午後一〇時一六分死亡した(以下「第六次入院」という。)。

夏子の入退院の経過と当時の症状はおおむね以上のとおりであったと認められるが、これによれば、夏子の虎の門病院への各入院時において、既に担当医師らは夏子の病状について薬物使用の疑いないし薬物による中毒の疑いを抱いていたことが窺われるところ、この点につき、大阪大学医学部教授杉本侃(同学部救急医学講座教授、以下「杉本教授」という。)は、虎の門病院及び金海循環器科病院などで作成された夏子の診療録を検討した上で、第一次及び第二次入院時における夏子の症状は、普段は何の異常もないのに、悪心などの自律神経の異常と房室ブロック・多源性心室性期外収縮などの心電図異常が、突然出現しては突然消失しており、しかも、極めて激しい異常であったのに、その後の心筋の検査でも何の異常も認められなかったことが特徴であり、このようなことは通常の疾病ではあり得ないことで、一過性の毒物中毒としか考えられず、その心電図上の異常所見はトリカブトの典型的な中毒症状であるから、トリカブト中毒であると考えられるとし、第三次ないし第五次入院時における夏子の症状は、前ど同様の特徴を有するほか、その症状は複雑になっており、一方では、第三次入院時のそれが起立不能になりながら何の心電図異常もなく、第四次及び第五次入院時のそれも呼吸停止になりながらも何の心電図異常がなかったことからすると、これらはトリカブト中毒とは考えられず、心電図異常がなく、口唇・四肢の痺れ・呼吸停止などの症状が現れていることを考えると、呼吸麻痺のほか運動麻痺を起こさせる毒物であるフグ中毒であると考えられるとし、他方で、第四次入院時のそれが呼吸停止の回復後に多源性心室性期外収縮・心室頻拍などの心電図異常が見られることからすると、これはトリカブト中毒であると考えられるとし、第四次及び第五次入院時における呼吸停止や心電図異常が生じた時間からみると、入院期間中にフグ毒とトリカブト毒が投与されたことは疑う余地がないとし、また、第六次入院時の夏子の症状にも房室ブロック及び心室性期外収縮などの心電図異常が認められるとしているのであるが、杉本教授の右供述は、フグ毒ないしその中毒症状について長年研究を重ねて専門的学識を有し、かつ、瀕死の中毒患者に対する救急医療に長年携わって豊富な臨床経験を有する同証人が、夏子の診療録に即して、それぞれの入院時に認められる心電図異常の種類及びその出現と消失の経過や状況、また、呼吸停止の発生と回復の経過や状況、さらに、夏子の自律神経異常の症状などをつぶさに検討した上で判断されたもので、専門的知識に裏付けられた十分に信用性の高いものと考えることができる。しかも、被告人は、杉本教授がトリカブト毒が初めて投与されたと指摘する夏子の第一次入院当時には、時期的には既にエバポレーターを購入し、これを使用してトリカブト毒の抽出ないし濃縮を行っており、また、フグ毒が初めて投与されたと指摘する夏子の第三次入院当時にも、既にクサフグを購入してフグ毒の抽出作業に着手し、エバポレーターをも使用してフグ毒の抽出ないし濃縮を行っていたものである上、杉本教授が入院期間中に二つの毒物が投与されたと指摘する第四次入院時の昭和五九年七月一三日には、被告人は午後五時に夏子に面会し、午後七時ころに病院を出たが、それから約二時間一五分後の午後九時一五分ころにトリカブト毒の中毒症状と認められる心室性期外収縮などの心電図異常が現れており、また、第五次入院時の同年一一月二三日には、被告人は、午前一時ころから午後零時ころまで病院内にいたが、その間の午前四時四〇分ころには夏子にフグ毒の中毒症状と認められる呼吸停止が発症し、また、午後一時ころにはトリカブト毒の中毒症状と認められる心室細動の心電図異常が現れているのであって、この間、いずれも被告人は夏子に対して毒物投与の機会を有していたということができるのであるから、こうした事実を総合すれば、被告人が、トリカブト毒及びフグ毒の毒性を調べるために、妻の夏子に対しても、これを投与して毒性実験を行っていたことが推認されるところである。

加えて、被告人は、秋子死亡後の昭和六一年七月中旬ころから始まった被告人に対する妻殺しの疑惑の報道に対し、その疑問に答える形で、同年一一月ころまでに全文四七頁に及ぶ前述した手記を完成させ、その七分の一に当たる七頁を割いて夏子の病状を記載しているのであるが、被告人の供述によると、これを記載した当時、被告人の手元にあった資料となるべきものは、春子、夏子及び秋子の死亡診断書ないし死体検案書、夏子が入院した虎の門病院、聖路加国際病院、国立高崎病院及び金海循環器科病院の入院料請求受領書等の書類だけであったというのであり、これらの資料からは、せいぜい夏子の死因や入・退院の時期・病院名などはこれを知ることができるというものの、それぞれの各入院当時に夏子が示した症状やその推移・経過などの詳細を知ることはできないはずであるのに、被告人は、前述のとおり七頁にわたり、それぞれ入院した当時の夏子の症状や症状の推移及びその際受けた医師からの説明などについても、専門用語も苦にすることなく克明に記載しているのであり、その内容を見ても、先に認定した夏子の症状及び症状の推移の経過がほぼ正確に記されていることが認められるのであって、夏子が入退院を繰り返していたのが、被告人が手記を執筆した当時から一年ないし五年も以前の出来事であることを考えると、被告人は、夏子の入院当時の症状やその推移・変化に強い関心を抱き、これらをつぶさに記録に残していたものと推認することができる。

そして、関係証拠によれば、被告人は、夏子の発作の原因がなかなか分からないということで、心臓病の専門書を買って一生懸命勉強し、「心電図の見方・読み方」、「循環器疾病についての薬剤の選び方」との表題のいずれもハードカバーで箱に入った高価な書籍を持っていたことが認められるところ、前記手記の中でも、被告人は、春子の病状の二度目の入院のところでは、「昭和五六年五月、当時は、まだ、私は心臓病について知識が無く、除脈・頻脈・欠脈等、どの種類の不整脈かは判断はつかず、ただひどい脈の乱れ位にしか思えませんでした」と記載しているが、その後にはこのような記載はなく、夏子の第一次入院時のところでは、「やはり不整脈が出たので、再度、同病院(平塚胃腸病院)に連れて行き入院させました」と記載し、夏子の第二次入院時のところでは、「先生は、心臓周辺の図を書いて示し、『私は、今回の発作は心伝導系の病気だと考えている。心臓が鼓動すると、洞結節から心房結節に信号を送り、それが各心筋細胞に伝わって規則正しい運動をするが、その伝導系に異常を生じたと見ている。但し、良く検査しないとはっきりした結論は出せません』との趣旨でした。素人が聞いて理解した事ですから、どの程度真意を理解出来たか疑問ですが、私もその図を見ながら、夏子の説明を聞き、理解できました」と記載し、さらに、夏子の虎の門病院への最後の入院となる第五次入院時のところでは、「先生から『私は睡眠薬自殺をした人が、これと同じような状態になったのを見た事がある』と聞かされ怒りを覚えました。夏子にも睡眠薬の話をしましたところ大変怒りました。二人で相談し、先生に『費用は総て私達で負担しますから徹底的に検査し、その疑いを晴らしてください』とお願いしました。それからは、私も夏子も、先生を見かけると、発病の原因が明らかになったかを執拗に聞くようになり、先生も当惑している様子でした。退院に際し、先生は、発病の原因について、『あらゆる検査をしたが、どうしても原因がわかりません。私達の勉強不足で大変申し訳ない』と頭を下げられた」とまで記載し、夏子の病状につき薬物による影響を疑いながらも確たる証拠がないと言って判断に苦慮する虎の門病院の担当医師の姿を記しているのであって、こうした医師による専門用語を使った説明をも、難無く書きこなしている記載があることに照らすと、被告人は、夏子の第二次入院当時には、既に不整脈ないし心臓病について相当程度の知識を持つに至っており、その後も自ら学習ないし研究によりさらに知識を深めていったことは推認するに難くないところである。また、関係証拠からは、被告人が、Iらに対し、「フグの毒はテトロドトキシンといって、リュウマチや神経痛によく効く薬が採れる。フグ毒で死なせる医者はやぶ医者だ。酸素呼吸さえすれば死ぬことはない」などと語っていたことも認められるのであり、こうした事実に照らして考えると、被告人は、フグ毒についてもそれなりに学習ないし研究していたことが推認されるのである。

以上の事実を総合すると、被告人は、トリカブト毒及びフグ毒の毒性を調べるために、夏子に対しても、これを投与して夏子の症状を観察・記録して、これを書籍等で確認するなどして、密かに学習・研究していたことが推認されるのであって、こうした学習・研究の過程で、被告人は、前記手記にも記載されているように、症状が発症するまでの時間のほか、トリカブト毒を投与した時には不整脈が出るのに、フグ毒を投与してもこれが出ないことを知ったものと考えることができる。

なお、被告人は、夏子の呼吸停止や心電図異常が入院から長時間経過後に発生しており、このことからすると、夏子の症状がトリカブト中毒やフグ中毒だったとは考えられないと弁解するが、これが採用の限りではないことは、後述するとおりである。

5 まとめ

以上認定した事実を総合すると、被告人が、昭和五六年一一月ころからトリカブト毒を含む植物であるトリカブトを購入し始め、その後は、根の毒の含量が増加する時期に当たる昭和五七年七月上旬から九月中旬ころにかけて大量のトリカブトを購入し、コーポ塚田三〇三号において、トリカブト毒の含量が経時的に増えた六月初旬ころから、セットで購入したエバポレーターを使用してトリカブト毒を抽出・濃縮した上、そのころ、数回にわたって購入したマウスを使って動物実験をし、その後、昭和六〇年夏ころにも、晴光荘二階七号で、多量に買い求めた有機溶媒やエバポレーターを使用してトリカブト毒を抽出・濃縮したこと、被告人が、昭和五九年三月ころからフグ毒を持つクサフグを購入し始め、昭和六〇年秋ころまでの間に約一二〇〇匹にも及ぶ大量のクサフグを入手し、これを晴光荘二階七号で有機溶媒やエバポレーターを使用して、集中的にフグ毒を抽出・濃縮したこと、被告人は、こうして抽出・濃縮したトリカブト毒及びフグ毒をいずれもガラス瓶などに入れて保存し、これを晴光荘二階七号及び大阪のグランドハイツ三号館一〇一号においても所持・保管していたこと、被告人は、同棲後の夏子に対してトリカブト毒及びフグ毒を投与してその毒性実験を行い、三年有余の間、これら毒物の中毒により入・退院を繰り返した夏子の入院当時の症状ないしその経過や状況をつぶさに記録した上、専門書でこれを確認するなどして学習ないし研究し、こうした学習・研究により被告人が二つの毒物について相当程度の知識を有するに至り、また、これら毒物相互の発症の違いについても学習し、少なからぬ知識を有していたものと認めることができる。

四  大阪転居ないし転居後の生活状況に対する疑問点

1 結婚の不自然性

夏子の死亡後の被告人の生活状況、とりわけその経済状態については、前記二の2で説示したとおりであるところ、被告人が秋子にはじめて会ったのは、夏子の死亡後四九日目であったにもかかわらず、その日から連日のように秋子の働く店に通い詰め、はじめてあった日からわずか六日目には結婚まで申し込んでいるのであって、余りにも性急というほかはなく、その後も秋子の働く店に通い続ける一方、秋子の友人を次々と接待したり、結婚を決意した秋子に入籍までの保障と称して遺言書を書き与えたり、あるいは秋子の両親に結婚の承諾を求めるため二人で帰省する前に秋子に高価な贈物をしたりと、たとえ一目惚れであったとしても、前妻を亡くしてから二か月も経たない中年の男の振る舞いとしては、首肯し難いものがあるといわざるを得ない。その上、被告人は、当時、無職・無収入で、経済的に極めて困窮した状態であったのに、大阪に事務所と称するマンションを借り受けた上、秋子に対しては自己の経済状態を隠し、仕事や収入について虚構の事実を述べて、結婚を申し込んで大阪への転居を誘っているのであって、秋子との結婚が不自然極まりないものであることは、余りにも明らかである。

2 理由のない大阪転居

被告人が秋子やその両親らに語った被告人の職業や将来行おうとしている仕事、また、自らの収入に関する話の大半が虚偽であったことは前述したとおりであり、そうであるとすると、被告人の大阪転居に理由のないことは明らかであるところ、被告人は、従前の主張に代えて、「一番の原因は東京を離れて大阪で一息つきたいというか、傷を癒したいみたいな気持ちが主だった。そして、大阪に行くなら、枚方方面に自分がやる食品会社の販路が開けないか、また、関西の味がもてはやされていたので自分で調べたい。大阪の薄味がどこからきているかを調べようという気持ちだった。もう一つは、ソフトタウン池袋一一〇三号の売却を考えており、大阪に行くことで、それを口実にしてソフトタウン池袋を売却しようと考えた」などと述べて、大阪転居にいかにも理由があったかの如き弁解をする。

しかしながら、被告人が、夏子の死亡後大阪に転居するまでの約二か月の間に行ったことは、食品会社設立の話をはじめて他の者に語り、大阪に飛んで事務所と称してマンションを借り受けて名刺にこれを記載し、秋子やその両親らに大阪でやらなければならない仕事があると言って欺き、当時、無職・無収入で、経済的に逼迫していたのに、クラブなどに出入して、甲野経営経理事務所を経営する経営コンサルタントと称して、さも資産があるかのように装ってダイナースクラブカードだけでも二七〇万円余りの金員を費消したことだけであって、妻を亡くして、傷心した夫の行う振る舞いとは到底思われず、販路調査ないし関西の味の調査のためと称する弁解も、先に検討した食品会社設立計画に関連するもので、これが虚偽であることは前述したとおりであるから、理由のないことは明らかである。また、ソフトタウン池袋一一〇三号の売却を考えていたという弁解も、秋子にこのマンションを譲渡する旨の遺言書を書き与えていたという事実や、その後、アイク信販に対する返済学一九万二〇〇〇円の目処がつかず、担保に入れてあったソフトタウン池袋一一〇三号を失う危険が生じたため、三和信用から短期、かつ高金利で借金をしてアイク信販への返済を済ませて、担保権の実行を免れたという事実があるのであるから、こうした事実に明らかに矛盾する弁解であって、これまた到底信用することができず、結局、被告人が大阪に転居したことを正当化しようとする弁解は甚だ不自然で合理性がなく、被告人がこの時期に大阪に転居したのはそのような理由からであるとは認められない。

3 高額かつ不自然な保険加入

被告人が安田生命外三者と生命保険契約を締結したことは判示第一で認定したとおりである。そこで、秋子を被保険者、被告人を保険金受取人とする各生命保険契約の内容について検討すると、関係証拠によれば、被告人は、生命保険加入の申し出をする際、あらかじめ加入を希望する保険の内容として、三井生命に対しては「保障は若干少なくて、老後に年金を受け取ることができる保険」、住友生命には「四千万円くらいの保障があり、六〇歳以後年金を受け取ることができる保険」、また、明治生命に対しては「日本生命の保険(死亡保険金額二三〇〇万円)の倍くらいの保障が付いていて年金が貰える保険」、そして、安田生命には「四、五千万円の保障が付き、年金も貰えるような保険」などと、それぞれ自分が加入したい保険の内容につき希望を述べていたこと、そして、被告人が三井生命外三社との間で締結した生命保険契約の内容は、次のとおり、三井生命の「ザ・らいふ」と「大樹らいふプラン」は死亡保険金が四五〇〇万円で、五九歳で年金保険「ゆとり」に切替えが可能であり、住友生命の「ウイング」は死亡保険金が四五〇〇万円で、六〇歳から切替え用に年金コースが設けられており、明治生命の「パイオニア」は死亡保険金が五〇〇〇万円で、年金への切替えが容易であり、安田生命の「パワー」は死亡保険金が四五〇〇万円で、五九歳で年金に切替えることが可能であって、いずれも被告人が希望した内容に基本的に合致しており、その希望に添うものであったと認められるところ、これらの保険にはいずれも入院特約などが付いていないことを考えると、右各保険は、基本的に、高額死亡保険金の受領を重視した生命保険であるということができる。

そして、秋子の死亡保険金の総額は一億八五〇〇万円という高額なものであるところ、被告人は、当時、無職・無収入であり、第一回目の保険料もサラ金からの借入金で賄うほどに経済的に行き詰まった状態にあったのであるから、こうした経済状態の被告人が、生命保険各社を次々と訪れて、立て続けに生命保険の申込みを行い、一社から断られるや、直ちに他の保険会社に生命保険の申込みを行うなどして、自己と秋子の二人分の年間保険料が四三三万円余りに及ぶ生命保険契約を短期間で締結するというのは、余りにも不自然というほかはない。

この点につき、被告人は、秋子死亡後、高額の生命保険に加入していた理由についてマスコミなどから追及された際、自ら弁明して手記を作成して食品会社設立の計画や、年収が一四〇〇万円もあるなどと述べ、また、保険金請求訴訟の本人尋問においても、一貫して支払能力のあることを強弁し続けてきた。ところが、これらがすべて虚偽であることが発覚するや、今度は、「一〇〇〇万円で売れると思っていた宝石が三八〇万円でしか売れなかったことで、経済的に立ち行かないことが分かった。それでソフトタウン池袋一一〇三号を売るしかないと思った。宝石が三八〇万円でしか売れなかったことで、生命保険の解約も二つくらいは仕方ないだろうと考え、沖縄に行く直前に三井生命に電話した。まだ正式に加入していないなら断ろうと思った」などという弁解を始め、なおも生命保険契約当時には支払能力があったか、あるいは、生命保険契約を幾つか解除すればその余の分については支払能力があったかのような弁解をする。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人が夏子に買い与えた宝石八点を一〇〇〇万円で売却依頼した昭和六〇年一二月四日の時点で、被告人が売却の依頼をした佐藤功からは、既に一〇〇〇万円で売るのはとても難しいと言われていたこと、その後昭和六一年三月ころには、被告人自ら三〇〇万円でもいいからと言って、右佐藤に宝石の売却を急がせていたこと、また、被告人は、沖縄に出発する二日前の五月一七日、手違いから生命保険契約の申込みの再手続のため訪れた三井生命の井上泰雄に対し、三月二八日の申込手続に過誤があったことを詰問し、「一つだけ遅くなって、この保険の保障の効力はあるのか。保険証券が届かなくとも保障の効力はあるのか」などと厳しく問いただし、三月二八日申込みの保険と同様に五月一日は効力を生じるようにさせたこと等の事実が認められるのであるから、こうした事実に照らすと、被告人の前記弁解に理由のないことは明らかであり、被告人に沖縄に行く直前に生命保険契約を解約する意思があったとは到底認めることができない。また、仮に被告人が、右生命保険契約の一部を解除したところで、前述したとおり、被告人には当時保険料を支払う能力が全くなかったことも明白な事実である。

一方、関係証拠によれば、秋子は、友人のDに、「被告人の会社の関係で、会社役員の女房として加入しなければだめみたいに被告人から言われて加入した」などと述べて、保険加入の動機を語っていたことが認められるところ、秋子に保険加入を勧めたことについては、被告人自らがしたためた前記手記の職業欄の昭和六〇年九月の項にある「昭和六一年一月大阪に転居した。新会社設立の準備も進み、再び、役員として経営に参加することを承諾し、最後の出資をした」との記載や、同手記中の保険加入を決定するまでの経緯の項にある「私は、本年七月を目標に会社設立を準備し、設立後、傷病保障をも含めて経営者保険に加入する事にしておりましたが、保険加入は早いほど秋子への保障になると考え、大阪に居るうちに加入することにいたしました」との記載によって裏付けられているところである。そして、本件各生命保険契約が、基本的に、高額の死亡保険金の受領に重点を置いた生命保険であり、秋子がこれらの生命保険に加入することが、秋子自身の老後の保障になんら資するものでないとすると、秋子をこのような保険に加入させたということは、専ら他の理由によるものとしか考えられないところである。

また、被告人が、当初から自らの意思で生命保険会社四社に分散して保険加入しようとしていたことは、前記手記の加入を決定するまでの経緯の項にある「予算から計算し、秋子は四社加入する。保険会社の選定は私が行う」との記載から明らかであり、しかも、疾病の場合の入院特約などが付いていないことを考えると、被告人には、保険会社の調査を免れ、秋子に対する高額保険加入の事実の発覚を免れる意図があったことも窺われるところである。また、関係証拠によれば、被告人は、三月二八日、三井生命の井上泰雄に「保障はいつから付くのか」と質問して、「診査を受け、一回目の保険料を支払った時」との回答を得、五月一五、一六日ころより以前に、安田生命の馬場勝子に、秋子が申し込んだ「パワー」の保険証券が届いていないことを伝えて、それが有効に設立したのかどうかを確認し、また、五月一七日には、手違いから秋子が加入する「大樹らいふプラン」の申込手続をやり直すために訪れた三井生命の井上泰雄に、「この保険の保障はあるのか」と詰問し、その効力発生が四月にさかのぼるように取り扱わせた上、「保険証券が届かなくとも保障はあるのか」と尋ね、「大樹らいふプラン」の効力を再確認したことが認められるのであって、被告人が、保険加入の申込手続をした後、秋子と沖縄・石垣島旅行に出発する直前まで、加入した生命保険の効力発生の有無やその時期について、強い関心を示し、こだわっていた事実も認めることができるのである。

以上述べたとおり、被告人の本件保険加入の経緯、加入した保険の内容及び加入後の被告人の言動などを総合すると、被告人の本件保険加入が余りにも不自然であることは明らかである。

4 石垣島旅行計画と被告人の沖縄への同行

関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、昭和六一年五月一九日から二四日までの沖縄・石垣島旅行につき、①五月一九日、被告人と秋子は、午前一一時四五分大阪空港発の全日空一〇三便で那覇に行き、那覇東急ホテルに一泊する、②五月二〇日、秋子は、午前八時五〇分羽田空港発全日空八一便で午前一一時二〇分に那覇に到着するF、D及びRの三名と那覇空港で合流し、午後零時発の南西航空六〇九便で石垣島へ行き、ヴィラフサキリゾートに宿泊する、被告人は、石垣島に向かう秋子らを見送った後、午後二時四〇分発の全日空一〇六便で帰阪する、③Fは、石垣島に二泊して五月二二日に東京に戻り、④秋子、D及びRの三名は、石垣島に四泊して五月二四日に全員で東京都帰るという計画を立て、四月一六日、大阪市内の日本交通公社イエスプラーザ東梅田店へ行き、右日程や旅行者の人数などを告げて、航空券等の予約手続をした。なお、その後の五月の連休明けころ、Rの都合が悪くなり、代わりに、Eが行くことになった。

これに先立つ二月三日ころの夜、秋子の友人のGは、東京都練馬区江古田所在のスナック「宴」で秋子と会い、同女から誕生日(一月三〇日)のプレゼントを貰ったが、その際、同席していた被告人から、突然、「五月にナツコ(秋子の源氏名)と一緒に沖縄に行ってくれませんか」と言って、沖縄旅行を誘われ、これを聞いた秋子も、被告人に確かめた上で、Gを沖縄旅行に誘った。ところが、Gが仕事を口実に断ると、被告人は、「じゃあゴールデンウィークだったらいかがですか」などと言ってGの都合に合わせて再度秋子と一緒に沖縄旅行に行くことを勧め、これに対してGの方から逆に被告人に対して新婚旅行でもしたらどうかと勧められると、「五月一杯はとても忙しい。大阪を離れるわけにはいかない。だから、もし二人で退屈なら妹さんも誘って三人でいかがですか」などと言ってさらにGを誘い、Gがこれを断ると、「費用のことは僕が面倒みますから心配はいりません。だから何とか行ってもらえませんか」と言って、なおも執拗に旅行に誘うなどし、さらに、「沖縄の本島ではなくて、周りに小さな島がたくさんあるでしょう。石垣島とか宮古島とか、そういう小さな島に行って欲しいんですよ」などと言っていた。

一方、FとDは、秋子から、被告人が沖縄の商店の商品の動きを視察に行く仕事がある、それに同行して行けば旅費は経費で落とせるとの説明を受けて、沖縄旅行に誘われた。

Rは、帰郷して間もなくの四月初めころ、秋子から貰った猫の件で、大阪の秋子に電話をした際、電話に出た被告人から、「五月に石垣島に旅行に行くので、一緒に行きませんか」と言って石垣島への旅行を誘われ、秋子、F及びDの名前を告げられ、「行きたいけれどお金がないから」と言って断ると、「旅費はすべて私が払います」と言ってさらに旅行を誘われた。その後、二、三日して、秋子から電話があり、一緒に行くことを伝えたが、その際、秋子から、旅行は被告人が計画したものである旨聞いた。その後、旅行が五月二〇日から二泊三泊と聞いたが、結局、都合が付かなくなり、五月三日、上京して、ソフトタウン池袋で秋子と会い、旅行にいけない旨を伝えた。

なお、Gは、四月初めころ、秋子と新大久保の喫茶店であった際、秋子から、沖縄旅行について、FとRに行ってもらうことになった旨を聞き、また、沖縄旅行が終わったら大阪に帰らなくてすむ、そのまま東京に戻ってずっと東京にいられると話すのを聞いた。

秋子は、五月二〇日、石垣島に渡る際、車付ウインドケースを所持していたが、Fから大きな荷物なので、その理由を聞かれると、旅行が終わったら一緒に東京に帰ると言って説明していた。

これらの事実によれば、被告人は、二月三日ころから、五月の沖縄の離島旅行を計画していたことが明らかで、その後、沖縄に仕事がある、旅費は経費で落とせるなどと言って、秋子に友達を誘って沖縄旅行をするように勧め、秋子を介して又は自ら、F、D及びRを沖縄旅行に誘う一方で、これに合わせて、秋子に対しては沖縄旅行後には仕事が終わると語り、旅行が終わったら東京に帰ってよい旨話していたことが明らかであるところ、当時、被告人には仕事がなく、旅費を経費で落とせるような食品会社もなく、被告人が加入した住友生命、明治生命及び三井生命に対する第一回目の保険料の支払いもサラ金からの借入金で賄うなど、被告人が経済的に逼迫していたことは、前述したとおりであり、このような被告人が、もっともらしい理由をつけて計画した沖縄・石垣島旅行に合理性のないことは余りにも明らかで、当時の被告人には秋子に同行して沖縄に渡る理由など全くなかったのであるから、こうした時期に被告人があえて計画し、実行に移した沖縄・石垣島旅行の目的、及び被告人が秋子に同行して沖縄に渡ったことについては、大いに、疑問があるといわざるを得ない。

5 秋子に対するカプセル投与

被告人が、秋子に対してカプセルを投与していたことにつき検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

秋子は、昭和六一年三月二〇日、寺崎ビル七〇二号を訪れた太陽生命保険相互会社の外交員髙倉武子に対し、「鼻血が出る。主人が薬をくれるから、それを飲んでいる」と語り、三月二八日から四月三日までの間、寺崎ビル七〇二号で面談した第一生命大阪東支社京橋営業部城東支部長Tに対し、「少々貧血気味なので、時々薬を飲んでいる。白いカプセル。彼が特別に手に入れてくれる薬。これを飲むと効く」と説明し、四月ころ、雀荘「ピンコロ」で、「あっ、忘れていた」と入ってバッグから白いカプセルを出し、一緒にいたFに、「甲野が調合してくれた栄養剤」と入ってこれを飲み、四月半ばころ、Gに対し、「甲野がくれる薬を飲んでいる。強壮剤をカプセルに入れて渡してくれる。甲野が私のために調合してくれている。東京に行ったらこれを飲みなさいと言われ、来る度に渡される。結構効くのよね」と語り、五月三日、ソフトタウン池袋一一〇三号で、バッグからチリ紙に包んだ白っぽいカプセルのようなものを出してRに見せ、「甲野が作ってくれた薬。疲れた時に飲む薬」と説明し、五月中旬ころ、新宿のライブハウスで、バッグからカプセルを数個出し、知人のSに対し、「彼(甲野)がカプセルにわざわざ薬を詰めて手渡してくれる。彼から飲むように言われて最近飲んでいる。強壮剤のようなもの。手持ちが少なくなってきたから、また彼に作ってもらわなくちゃ。せっかく私のために作ってくれるんで飲まなくちゃ」などと話して、白いカプセル一個を飲んでいた。

これらの事実によれば、秋子が遅くとも昭和六一年三月ころから、被告人から交付されたという白色カプセルを継続的に服用していたことを認めることができる。そして、秋子の言動からは、被告人が、わざわざ秋子のために調合し、交付の際には栄養剤ないし強壮剤と説明していたことが窺われ、また、秋子がこれを効く薬と信じて服用していたことも認められるところである。

なお、関係証拠によれば、秋子は、三月中旬ころ、Fに電話で、「私ってバリケードかと思ったら、結構デリケートだった。鼻血が出たり下痢したりする」などと語り、四月半ばころ、Gに、「疲れやすい。夜眠れない。下痢・吐き気はするし、寝汗をかいたり鼻血が出て、トイレも近い」などと訴え、四月二七日からの二泊三日の北海道旅行では、バスが停まる度に便所に駆け込み、五月三日、Rにも、「最近疲れて体がだるい」とこぼし、五月一四日には、Eに「おしっこ、止まらないのよね」と話しながら、午後六時ころから午後一一時ころまでの間に一〇回以上便所に行き、ひどい時には五分から一〇分間隔で便所を利用していたことが認められるのであって、秋子の健康に少なからぬ異変が生じていたことも認められるところであり、一時的な現象ではあるものの、秋子が、白色カプセルの服用と並行して、身体の異常を訴えていた事実も窺われるところである。

被告人は、「自分から秋子に白色カプセルを飲ませたことはない。自分が飲んでいるのを見た秋子が『私も飲んでいいか。』と言って、それから飲むようになった」旨弁解するが、右弁解は、秋子がカプセルを服用しているのを目撃し、あるいは秋子からカプセルの話を聞いた証人T、同F、同G、同R、同Sの供述記載ないし公判供述に照らし、採用の限りではない。

そして、被告人による秋子へのカプセルの投与が、生命保険の加入及び石垣島旅行の計画が具体化しつつある時期に行われていることに照らすと、被告人が秋子にカプセルを与えた目的についても、疑問を抱かざるを得ないところである。

6 大阪における毒性実験

被告人が、昭和五七、八年ころ、トリカブト毒の毒性を調べるため、そのころ購入した実験用マウスを使って動物実験をしたことは、前述したとおりであるところ、被告人が、昭和六一年四月二六日に再びマウス五〇匹を購入しており、当時、被告人が、グランドハイツ三号館一〇一号でトリカブト毒とフグ毒をガラス瓶などに入れて保存していたことからすると、ここでも、トリカブト毒とフグ毒を使って動物実験をしたことは推認するに難くない。加えて、当時、被告人が大阪でエバポレーターを持っていたことは、被告人の捜査段階の供述から明らかであり、関係証拠によれば、グランドハイツ三号館一〇一号の水道使用量が、昭和六一年三月一五日検針分が三m3、五月二〇日検針分が二三m3、七月一〇日検針分が一m3で、四、五月分の水道使用料が隔絶して多いこと、そして、その当時、被告人がグランドハイツの居室で使用していたのと同じ容量の浴槽に、入浴する場合の通常の水道量を入れて実験したところ、二三m3というのはおよそ三九回分の入浴に相当するという結果が得られたことが認められるのであって、エバポレーターを使用する場合には、一回あたり、水道を全開状態で二〇分ないし三〇分間使用する(通常の家庭用の水道を一時間全開状態で使用すると約六m3になる。)ことになることからすると、被告人が、マウスを購入したところ、エバポレーターを使用してトリカブト毒とフグ毒の濃縮を行った事実も、優に推認し得るというべきである。

なお、被告人は、マウスの動物実験につき、「実験しようと思ったが、実際には実験できずに終った。マウスが可愛くて実験をやめた」旨弁解し、また、水道使用量が多いことにつき、「その当時痔を患っており、グランドハイツの風呂で洗っていた」などと弁解するが、右弁解がいずれも理由がないことは、当時の水道使用量が極端に増えていることや、被告人が本来の住居として寺崎ビル七〇二号を有していたことなどに照らして明らかというべきである。

五  秋子死亡後の被告人の言動

秋子死亡後の被告人の言動について検討すると、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

被告人は、昭和六一年五月二〇日、午後三時五五分発南西航空六一七便で石垣島に向かったが、八重山警察署において、午後六時三〇分ころ、参考人として事情聴取を受けるに先立って、同署警察官佐和田勇から医師から診断書は発行できないと言われているとの説明を受け、解剖の必要を伝えられて、秋子の死体の解剖の承諾を求められた際、「自分一人では決められない。親族にも了解を取らないといけない」などと言って解剖を承諾することを渋り、このままでは火葬も戸籍の手続もできないとさらに説得されて、ようやくこれを承諾した。そして、翌二一日に行われた秋子の解剖終了後、被告人は、大野助教授に「臓器を全部返していただけたか」と言って確かめた。

被告人は、五月二一日、秋子の解剖を待っている間、Eらに対し、「解剖が終ったら、石垣は遠いから、茶毘に付して、骨にして連れて帰る」と話し、その夜到着した秋子の父親のUらに対しても、「明日、石垣島で火葬した方がいいんじゃないか」と話し、翌二二日朝にも、Uらに対して再び石垣島で火葬したい意向を示していた。

被告人は、五月二一日、解剖終了後に、大野助教授から死因を急性心筋梗塞とする死体検案書の交付を受けたが、五月二二日朝、Uらと県立八重山病院を訪れ、謝花隆光医師と面会した際に、「心臓が止まった原因についてどう考えますか」と質問し、同医師から不整脈と心筋梗塞の可能性があるとの説明を受けると、「不整脈は薬物によっても起こりますか」などと問いかけ、自ら刺激伝導系という専門用語を使用して秋子の死因についてさらに質問し、最後に「結局、病名は何になりますか」などと質問していた。ところが、被告人は、前々日石垣島に到着した後、秋子に同行していたFらに会っていたが、秋子の発病から臨終に至る状況については、何一つ質問しなかった。

被告人は、五月二〇日、八重山警察署において、午後七時ころから約二時間にわたり、前記佐和田から、参考人として事情聴取を受け、秋子の薬物服用につき聞かれたが、「薬物の常用はない。施用しているのはピルである。」と言って虚偽の供述をし、さらに、右佐和田から秋子の生命保険加入つき尋ねられると、「保険関係は、日本生命二三〇〇万円、太陽生命二〇〇万円がある。妻の実母が受取人になっている。自分が受取人となっている生命保険はない」と言って、重ねて虚偽の供述をし、翌二一日午前中、八重山病院で行われた秋子の解剖中、Fらに対し、自ら「これが逆だったらよかった。僕は秋子を受取人にして二億円近くの保険に入っているから、これが逆だったら秋子は左うちわで生活できたのに」と言って保険の話しを切り出し、同女らから「その逆はないでしょうね」と問いただされるや、「自分が受け取る保険はない」と嘘を言ってこれを否定した。また、同日夜、被告人は、Uらに対して、「秋子は風邪薬一つ飲んだことがないほど健康だったのに」などと語った際、Fから「私は、あなたが調合したという栄養剤を秋子が飲んでいるのを見ましたよ」と指摘されると、「夏子が飲んでいたものが残っていて、それを服用している。ニンニクのにおいが強いので、二重カプセルにして飲んでいる」などと説明した。五月二二日夜、ソフトタウン池袋一一〇三号で秋子の仮通夜が行われたが、二三日未明、被告人は出席していた秋子の実姉のVから生命保険への加入の有無を確認されたが、その際もこれを否定し、居合わせたRやDから「高額保険に入ったと秋ちゃんから聞きましたよ」などと問いたただされても頑強に否定していた。

被告人は、五月二三日に通夜、翌二四日に告別式を終えると、Uらと一緒に大阪の住居の寺崎ビルに戻ったが、五月二六日ころ、秋子の遺品を片付けていた際、日本生命等の保険証券を秋子の母親のWに渡しながら、「実は猫好きのおばさんが保険を勧めに来て、子猫が生まれたら欲しいと言いながら無理に勧めるので保険に入った。年の差が大きくて自分に何かあったときに秋子に保障がないと困るから、あくまでも老後の保障を考慮した年金型の保険だ。一口四、五〇〇〇円くらい。石垣島では茫然としていたので、入っていないと言ってしまった」などと言って、保険に加入していた事実の一部を明らかにした。

被告人は、五月三一日、三和銀行大阪駅前支店に保険金受取用の預金口座を開設し、六月二日、午前中から二度にわたって安田生命梅田支店に電話を掛け、折り返し電話を掛けてきた馬場勝子に対して、自ら秋子が死亡した事実を伝え、「保険のことでいろいろ聞きたいことや相談したいことがある」と言って同女の来訪を促し、保険金請求書類を入手して、六月一〇日ころ、安田生命に対し、秋子の死亡保険金四五〇〇万円の支払を請求した。

被告人は、六月七日ころ、秋子の仏壇の魂入れのため同女の実家を訪れた際、「大阪で話したほかにも、実はもうちょっとあった。他に二社は入っており、大阪で話した分を含めて一億か一億二〇〇〇万円くらいの保険に加入していた」などと入って、大阪で話した以外にも秋子が保険に加入していた事実をさらに一部明らかにし、また、七月一日、Kに対して、自分の虚構の資産形成過程の話を説明して書き取らせる際に、「秋子に対して明治、住友、安田、三井に保険を掛けていた。安田と三井は七月に保険金を請求するが、合計で九〇〇〇万円になる」などと述べ、七月五日の秋子の四九日の法要で秋子の実家を訪れた際には、「四社五口で、一億八〇〇〇万円くらいの保険に入っている」などと話して、秋子に生命保険を掛けていた事実の全てを明らかにした。

被告人は、八月五日、明治生命、住友生命及び三井生命に対し、秋子の死亡保険金合計一億四〇〇〇万円の支払の請求をする一方で、七月一八日から八月にかけてなされた被告人に対する殺人の疑惑の報道に対抗して、前記手記を執筆したが、その中で被告人が述べている被告人の職業や収入は、前記二の3で説示したとおり、すべての虚構の内容であった。また、安田生命外三社から、いずれも保険金の支払を拒絶されたため、一二月一二日、安田生命外三社を被告として保険金請求訴訟を東京地方裁判所に提起したが、その原告本人尋問においても、被告人は自己の職業や仕事、収入などについて、前記二の3で説示したとおり、虚偽の供述を繰り返していた。被告人は、右訴訟で勝訴判決を得たものの、保険会社側が控訴したため控訴審に係属することとなったが、平成二年一〇月一一日の控訴審の口頭弁論期日において、秋子がトリカブト中毒により死亡したことが判明すると、それから約一か月後に右訴えを取下げた。

以上の事実によれば、被告人が、秋子の死体の解剖を渋り、これを承諾した後は臓器の回収にこだわり、秋子を石垣島で火葬することを主張し、また、秋子の死因が病死と判明した後は、これを執拗に確認するなどしたにもかかわらず、その一方で、新婚間もない妻である秋子の死亡時の状況には全く関心を示さず、秋子の死体が火葬により消滅するまでの間は、秋子に高額の保険を掛けていたことを頑強に否定して、秋子の親族にさえこれを隠しとおし、秋子の火葬が終了するや、保険金加入の一部を明らかにし、そのすぐ後に保険金受取用の銀行口座を開設した上、保険会社に来訪を促して保険金請求に踏み切り、その後しばらくの間静観した後、秋子に生命保険を掛けていた事実を全て明らかにし、他の保険会社にも一斉に請求し、他方では、そのころのマスコミの動き、すなわち、自らに向けられた疑惑の報道が激しくなると、これに対して自ら筆をとり、自己の職業や収入について虚構の事実を述べて論陣を張り、また、その後の保険金請求訴訟においても、自己の職業や仕事、収入等について、臆面もなく虚偽の供述を繰り返していたことが明らかである。

第四  総合的考察

当裁判所は、本件がトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを秋子に交付し、情を知らない秋子を利用してこれを服用させて殺害したという殺人事件であり、カプセルの交付及び服用につき直接証拠がないことから、前述した犯人と被告人とを結び付ける事実について、証拠を検討してきたが、前記第三で認定・説示したとおり、被告人には、犯人としてこれを特定する上で重要な事実をいずれも認めることができるから、被告人が秋子を殺害した犯人であることは明らかであって、証拠上、合理的な疑いを容れない程度にまで犯罪の証明がなされたものというべきである。

すなわち、前記第三の二ないし五で検討した間接事実を総合すると、本件犯行の経緯及び犯行状況は、次のようなものであると認められる。

被告人は、かねてより、トリカブト及びフグを購入するに止まらず、これらからトリカブト毒及びフグ毒を抽出・濃縮し、これらの毒物につき動物ないし人体を使って毒性実験を長期間にわたり繰り返し、これを記録し、さらに専門書等で確認して学習ないし研究してきたものであるところ、ピーマックを退職した後は、定職に就かず、無収入となったが、その一方で、遊蕩三昧の日々を重ねたため、経済的に窮乏し、そのため金員欲しさから、保険金目的の殺人計画を企て、それまで他人に語ってきた自己の虚偽の職業や収入に加えて、新たに食品会社設立という架空の話を作り出し、話に現実性をもたせるために大阪に新たな事務所と称するマンションを借り、名刺を作り替えるなどして小道具を整え、その上で女性を物色して秋子に狙いを定め、苦労して金策しながら、さも資産があるかのように装って、金にものを言わせて同女の歓心を買い、同女を有頂天にさせて結婚を決意させ、二つの毒物を持って大阪に転居したが、経済的にいよいよ行き詰まって早期に金員を手に入れる必要が生じるや、殺害計画を早急に実行に移そうと考え、殺害後の死体の処理が速やかに行われることを考えて、沖縄に仕事があるなどと言って、温暖で医療体制の十分でない離島旅行に秋子を誘い、秋子との婚姻届を済ませた上で、老後の保障などと称して秋子に保険加入の話を始め、食品会社の設立とその経営に参加することに伴って加入すると称して保険に加入する必要を説き、また、これと並行して、旅行先で二つの毒物を詰めたカプセルを服用させて殺害すべく、そのころから、秋子のためにカプセルを調合し、これを栄養剤などと称して秋子に服用させて同女のカプセルへの警戒心を解き、秋子が被告人の言う保険に加入することを決意するや、自ら、次々と保険会社を訪れてそのうち四社との間で死亡保険金の取得に主眼を置いた生命保険に秋子を加入させ、自分の仕事を口実に沖縄まで同行すると称して秋子のために石垣島旅行の予約を行い、秋子の不在を利用してトリカブト毒とフグ毒をマウスに投与して動物実験を行い、これらの毒物を詰めたカプセルを準備・携帯して秋子と共に沖縄に渡り、秋子と那覇空港で別れるまでの間に、同女に右毒物を詰めたカプセルを交付し、カプセルに右毒物が詰められていることを知らない秋子にこれを服用させ、本件犯行に及んだものである。

ところで、本件は、秋子を道具として利用する殺人の間接正犯であり、カプセルの交付及び服用につき、直接これを目撃したものが存在せず、証拠調べを尽した時点においても同様であって、カプセルの交付及び服用の日時、場所及び方法につき、これを詳らかにすることのできない特殊な事情があるところ、被告人と秋子の犯行当日の行動に照らして考えると、秋子が石垣島に到着した後にカプセルを服用したことを窺わせる証拠は全くないから、服用の終期としては南西航空機が石垣空港に到着するまでの時点であると考えられ、他方、被告人は、秋子と共に犯行前日に来沖し、犯行当日の午前一一時四〇分過ぎころまでの間、終始秋子と行動を共にしているが、交付されたカプセルが、通常のそれと異なり、トリカブト毒とフグ毒の詰められた特殊なもので、殺人の手段として用いられるものであることを考えると、犯行前日にカプセルを交付したとは考え難く、したがって、犯行当日の朝起床後から秋子と別れた午前一一時四〇分過ぎころまでの間に交付したと認めるのが相当である。

以上のとおり、被告人が本件犯行を行ったことは明らかであるが、被告人が種々弁解をしているので、以下、若干検討を加えておくこととする。

まず、被告人は、秋子が服用したとされる時間から症状が発症するまでの時間が余りにも長く、秋子に症状が発症した時点では、自分は秋子と一緒にいなかったので、仮に、二つの毒物を詰めたカプセルがあったとしても、自分にはカプセルを秋子に交付する機会がなく、したがって、犯行の可能性がない旨弁解する。

前述したとおり、本件においては、被告人が秋子と別れた後、約一時間三五分後に秋子にトリカブト中毒の症状が発症していることが認められるので、服用と症状発症との時間的空白が問題となる。そこで、検討すると、本件の特徴は、秋子の血液からトリカブト毒とフグ毒という二つの毒物が検出された点にあるところ、水柿教授外二名作成の鑑定書(弁護人一三)によれば、トリカブト毒とフグ毒を生体に同時に投与した場合は、トリカブトを生体に単独に投与した場合よりも、トリカブト毒の症状の発症時期は、二倍程度遅くなると推定されるとの鑑定結果が出されており、右鑑定結果は、実験の対象となる小動物として体重三〇gのマウスと体重約二〇〇gのラットの二種類を用い、投与の方法もゾンデによる直接注入とミニカプセルによる経口投与に分けるなどして、トリカブト中毒症状の発現時間及び生存時間の実験を行ってデータを集め、投与量や投与形態の相違をも考慮しつつ、共同鑑定人三名の一致した結論として出されたものであって、その信用性に疑いを挟む余地はないと考えられる。そして、右の結論は、トリカブト毒とフグ毒の分子レベル、組織・臓器レベルで確認される拮抗作用からも裏付けられるところである。すなわち、二つの毒物は共に細胞膜に存在するナトリウムチャンネルに結合するものの、トリカブト毒がこれを開くことにより興奮させるのに対し、フグ毒はこれを閉じることにより興奮を抑制するのであって、これが生命維持にとって重要な臓器等の細胞膜に存在するものにかかわるものであることからすると、その作用・機構は、ヒトにおいても、マウス及びラットと基本的に同一と考えられるのであって、前記鑑定書によれば、秋子と同等の体格の者に致死量のトリカブト毒を投与した場合には、口唇や舌の痺れ感は摂取直後から二、三〇分以内に出現し、不整脈は、悪心、発汗、嘔吐などと前後して三〇分から一時間前後に出現すると推定されるのであるから、これからすると、秋子は、トリカブト中毒症状の発症した午後一時一五分ころから最大限約二時間前の午前一一時一五分ころ、本件カプセルを服用したものと推認することもできるのであるから、被告人には、秋子にカプセルを交付する機会があったことは否定できないところである。

また、秋子がカプセルを二重にして服用していたことは被告人も認めるところであるが、カプセルに薬剤を充填した上、カプセルを二重ないし多重にした場合の薬剤の溶出時間につき実験を行った千葉大学薬学部教授山本恵司作成の鑑定書(弁護人六)によれば、二重にした時の薬剤の溶出時間は平均二分五四秒で、カプセルが一重の場合に比べて約1.8倍遅れ、三重にした時のそれは平均一〇分四二秒で、同じく二重の場合の約7.7倍遅れるとの実験結果が示されており、また、薬剤と乳糖を混合してカプセルに詰めて(以下「通常カプセル」という。)兎に経口投与した場合と、薬物と小麦粉とを混合してカプセルに詰め(以下「混合カプセル」という。)あるいは薬物と小麦粉を混合して水を加え練り合わせてカプセルに詰め(以下「練合カプセル」という。)て、兎に経口投与した場合の薬物の対内吸収状況につき実験を行った東京理科大学薬学部薬物治療学研究室福室憲治外一名作成の鑑定書(甲三七九)によれば、通常カプセルの場合の最高血中濃度到達時間は投与後平均して2.33時間プラスマイナス0.82時間であったのに対し、混合カプセルの場合のそれは4.67時間プラスマイナス1.03時間であり、また、練合カプセルの場合のそれは4.33時間プラスマイナス0.82時間であったとの実験結果が得られているのであり、これらによれば、秋子は、トリカブト毒とフグ毒の拮抗作用から認められるカプセルを服用したと推認される時点よりも、もっと以前に本件カプセルを服用したものと推認することもできるのであり、いずれにしても、被告人には、秋子にカプセルを交付する機会があったことは否定できないところである。

次に、被告人は、秋子の心臓血から検出されたトリカブト毒の構成比と、被告人が「カルミヤ」から購入していたトリカブトの毒の構成比との間には相違があるから、秋子の死因となったトリカブト毒と被告人が購入していたトリカブトとの間に同一性がない旨弁解する。これは、白河産のトリカブトは、その含まれるトリカブト毒につき、同一の構成比を有するとの見解に立ち、かつ、秋子の心臓血に含まれるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチンの構成比が、アコニチンを一とした場合、一対約1.8対約1.7であるのに対し、被告人がトリカブトを購入していた「カルミヤ」の仕入先である有限会社Lから平成二年一二月二〇日に警察官が任意提出を受けて領置したトリカブトの根のメタノール抽出液に含まれるそれらの構成比が、一対約2.7対約0.8であることに依拠するものである。

しかし、水柿教授外一名作成の鑑定書(弁護人一二)によれば、平成二年一二月二〇日福島県西白河郡から任意提出又は採取したトリカブト塊根合計八個につき認められたトリカブト毒の構成比は、アコニチン対メサコニチンの比率が、最小で一対約2.3、最大で一対約11.6であり、アコニチン対ヒピコニチンの比率も、最小で一対約0.01、最大で一対約10.5であり、また、平成三年三月九日、同郡から採取したトリカブト塊根合計六個につき認められたそれは、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約1.2、最大で一対約4.0であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率も、最小で一対約0.01、最大で一対約0.4であり、さらに、同年九月一一日、同郡から採取したトリカブト塊根合計五個につき認められたそれは、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約1.5、最大で一対約5.2であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率も、最小で一対約0.006、最大で一対約0.4であるのであって、福島県西白河郡から同じ日に採取されたトリカブト塊根であっても、トリカブト毒であるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチンの構成比が異なることは明らかであるから、被告人の右弁解には理由がない。

さらに、被告人は、致死量のトリカブト毒をカプセル一個に充填することができない旨弁解し、独自の計算をした上で、「西白河産トリカブトを使ったとすると、自分の計算によれば、水飴上の濃縮液の場合であれば〇号カプセルに九個ないし二七個詰めないと致死量にはならないし、それを乾燥させた場合であれば七個ないし二〇個、乾燥根を粉末にした場合でも七個ないし二〇個の〇号カプセルに詰めないと致死量にはならない」と主張するが、警察官が白河産トリカブトにつきエタノール等で抽出・濃縮した物を〇号カプセルよりも容量の小さい二号カプセルに充填して鑑定嘱託をしたところ、水柿教授作成の鑑定書(甲三八一)によれば、致死量の一二倍ないし約二七倍に相当するトリカブト毒が検出されたことが認められるから、被告人の右弁解には理由がなく、採用の限りではない。

第五  訴因不特定の主張について

弁護人は、本件殺人の公訴事実は、毒物を詰めたカプセルの交付・服用の実行行為の時刻場所が特定されていないばかりでなく、どのようにカプセルを製造し、いかなる手段方法で交付・服用させたのか特定されていないと主張する。しかしながら、本件殺人の公訴事実は、被害者を道具として利用する殺人の間接正犯であると解されるところ、犯行の日時、場所の表示にある程度の幅があり、また、犯行の手段方法の表示にも明確を欠くところがあることは所論のとおりであるが、本件においては、被害者が既に死亡して存在せず、また、犯行の目撃者もなく、被告人も捜査の当初から一貫して犯行を否認している事案であり、そうであるとすると、本件は、「犯罪の日時、場所及び方法を詳らかにすることができない特殊な事情」(最高裁判所大法廷判決昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一六三三頁参照)が認められる事案であるということができる。そして、本件証拠調の結果によれば、検察官においては、起訴当時の証拠に基づいて、できる限り実行行為の日時・場所・方法等を特定したのであることが窺われるから、本件公訴事実が、被害者を利用した殺人の間接正犯として、訴因の特定に欠けるところはないというべきである。したがって、弁護人の右主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示第二の所為は刑法一九九条に、判示第三の各所為はいずれも同法二五〇条、二四六条一項に、判示第四の一及び二の各所為中、業務上横領の点は同法二五三条に、横領の点は同法二五二条一項に、判示第四の三の各所為はいずれも同法二五三条に、判示第四の四の各所為はいずれも同法二五二条一項に該当するところ、判示第四の一及び二はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりいずれも一罪として重い業務上横領罪の刑で処断することとし、判示第二の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の殺人罪につき無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項本文により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用中、別紙訴訟費用負担一覧表に記載した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、保険金目当ての殺人を計画した被告人が、その意図を秘して被害者に接近して結婚し、被害者に高額の生命保険を掛けた上トリカブト毒を用いてこれを殺害し、生命保険会社四社から合計一億八五〇〇万円の保険金を騙取しようとした殺人、詐欺未遂事犯と、右犯行後、新たに就職した会社において、時価合計七億円余りに及ぶ株券を業務上横領あるいは横領したという事案である。

被告人は、当時、定職に就いておらず、所有していたマンションを売却したり、あるいはこれを担保に金融機関から借入れをし、さらには、サラ金などから借金をするなどまでして遊興費を作り、銀座のクラブ等でホステス相手に豪遊するなど放埒な生活を送るかたわら、その陰では、甲野経営経理事務所と称するアパートで密かにトリカブト毒やフグ毒を抽出・濃縮し、これらの毒物を実験用マウスを用いるほか、自分の妻(前妻夏子)に対しても投与して毒性実験を繰り返して殺人技術の研究を重ね、昭和六〇年九月に前妻が死亡するや、保険金目当ての周到な殺人計画を練り上げて、自分の職業を経営コンサルタントなどと偽り、当時、クラブのホステスをしていた何も知らない被害者に接近してその歓心を買い、同女と結婚し、婚姻届を済ませて夫婦としての形式を整えると、妻となった被害者に多額の保険金を掛け、自分の仕事の関係で沖縄に所用があるなどと偽って被害者を沖縄・石垣島旅行に誘い出し、旅行の途中でトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを被害者に交付し、情を知らない被害者にこれを服用させて毒殺したのであって、周到、綿密に準備され、着実に実行に移されたまれに見る計画的犯行であるということができる。殺害の手段方法も、被害者をトリカブト毒の中毒症状による苦悶のうちに死亡させるという冷酷、かつ残忍、非情この上ないものである上、カプセルの中にフグ毒をも詰めることによって、被害者の病状をより複雑なものにして死因の解明を困難にし、自己に疑いがかかることを免れるという極めて巧妙な手口を用いているのである。加えて、犯行の動機も、前妻の死亡によって一〇〇〇万円余りの死亡保険金を取得したことに味をしめ、一攫千金を目論んで保険金目当ての殺人を計画し、これまでの遊興により身に付いた放蕩三昧の生活を続けるとともに、自己の経済的窮状を解消しようとしたものであって、自らの欲望を満たすためには、人命さえも一顧だにしない被告人の姿勢は、まさに非道の極みというほかはない。

他方、本件被害者は、不運にも殺人計画の対象を物色していた被告人の目にとまり、被告人の真の姿に気付かず、終には信頼を寄せていたはずの夫である被告人の手によって、楽しいはずの旅行の途中で非業の死を遂げたものであって、その無念の情には筆舌に尽くし難いものがある。また、このような形で肉親を失うこととなった被害者の親、姉弟など遺族の受けた衝撃、悲嘆、憤りは察するに余りあり、口を揃えて被告人に対して極刑を望んでいるのであるが、その心情には誠に無理からぬものがあると思われる。

しかるに、被告人は、右犯行後、新聞、テレビなど報道機関から疑惑の主として取り上げられるや、「マスコミの中傷にさらされて―わたくしの半生―」と題する手記をしたためてこれを頒布し、自らをマスコミの中傷に泣く新妻を失った悲劇の夫に仕立てあげるとともに、保険金請求の民事訴訟においても、平然と虚言を弄して被害者の遺族や世間を欺き続け、その一方で、かつて覚えた遊興三昧の生活を送るため、新たに就職した会社において、異例の抜擢により経理部長の地位を与えられたにもかかわらず、会社の信頼を裏切り、自己の立場を利用して、二年余りの期間に、実に、時価合計七億円余りに及ぶ株券の業務上横領及び横領事件を繰り返していたのである。ところが、被告人の側からは、今日に至るまで、被害者の遺族に対する慰謝の措置はおろか、一言の謝罪の言葉もなく、また、巨額の株券の横領により、被害会社等に莫大な損害を与えておきながら、これに対する被害の弁償も全く行われていないのである。

本件は、当初、マスコミの報道が先行し、警察捜査がこれを追うという形で進展し、また、夫が生命保険金を取得するために、トリカブト毒を用いて妻を殺害するという特異な犯罪として社会の耳目を集めていたもので、その意味でも、本件犯行が一般社会に与えた衝撃には軽視しえないものがあった。被告人は、起訴後公判を重ね、本件殺人についても、証拠上既にその犯行が明白となったにもかかわらず、最後まで犯行を否認し続ける、るる詭弁を弄して自己の罪責を免れるのに汲々としているのであって、そこには人間として一片の良心も窺うことができないのである。

そうすると、被告人にとって多少なりとも有利な情状として、業務上横領及び横領事件について、被告人がこれを率直に認めており、その限りにおいて反省の態度を示していること、被告人にはこれまで処罰を受けた前科、前歴がないことなどを指摘することができるが、本件殺人事件が極めて計画的な犯行であり、殺害の手段方法が冷酷・残忍であること、動機が悪質で、犯行の結果が重大であること、また、業務上横領及び横領事件についても、犯行の動機に酌むべき点が全くなく、被害総額が莫大であること、その他、一連の犯行後の状況を併せ考えると、被告人の刑事責任は誠に重大であり、被告人に対しては無期懲役刑をもって臨み、生涯を通じてその罪を償わせるほかないというべきである(求刑無期懲役)。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上拓一 裁判官田島清茂 裁判官丹羽敏彦)

別紙一覧表〈省略〉

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